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止念観という禅定

はじめに

前世より持って生まれた思い癖は自身だけの特性だけではなく、受け継ぐ家系の血などと合わせて増幅されるように因縁付けられています。そのことに気付くことなく、業に取り込まれて人生を踏み外したまま一生を終えてしまう人々がたくさんいます。

自分のこころの癖は、自分が一番わかっているようで、一番わからないところです。

傍から見ても目立つようなこころの癖ならば、周りも気づきやすいこともあります。でも、現代は個の時代。周りに人が少なくなってきていては、自分で見出すより他ありません。

こころの癖は、前世から持ち越しているくらいです。結局、これまで気付かなかったということなのです。これを繰り返していては、あの世も遥か遠い世界です。悪いことに、その癖は続くばかりか次第にこころに重く積み重なってしまって取れなくなっていきます。

わたしの場合も、思い癖については自分の行動からもまわりの指摘からも知っていたはずなのですが、性格のひとつだと納得させて出家するまでわからなかったのです。

止念観とは

自分のことだから、自分のことは何でも分かるという思い込み

まず、この思い込みの壁を取り払うことが肝要です。

前回の禅定の記事で戒・定・慧について触れました。

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戒が修まらずに定に進めないならば、それを逆手に、定によってその戒における問題をあからさまにする行法があります。

こころの業は、人のこころを乱します。様々な刺激にさらされている社会生活の中にあればなおさらです。また、ある程度禅定に入れば、自ずと知れることでもあります。

宗祖は、止念観という禅定の中でこころにお釈迦さまの意識存在である多宝塔の柱を建て、人のこころの奥深く蓄積した”業”に働きかけることによって、”慧”である知恵や悟りを得る、他力による修行法を確立しました。

人のこころは複雑です。ある時は鬼になったり、ある時は仏になるような、様々な気分の起伏を繰り返します。その気分のひとつひとつをこころに住む衆生と捉えます。

止念観とは、こころに巣くうそれぞれの衆生に働きかけて、悟り上げていくことを日々繰り返していき、他力から次第に離れて、やがて自力によってこころを完成させていく行法なのです。

止念観とは定から戒の根本原因へと働きかけ、こころを修めていく行法

それでは、止念観について要点を動画としてまとめてみました。ぜひご覧ください。

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まとめ


こころの恒久的な安定を得ようとすれば禅定は修行となり、その色合いは宗教的になります。それは、後生も見据えた恒久的な修行です。その障害となりものが、業であり、業が引き起こすこころの癖です。こころの癖が足かせになり、禅定の効果にも実感が乏しく一時的なものになってしまいます。

一方、禅定を処世術のひとつととらえて、仕事や生活をより良くしていこうとするならば、禅寺の座禅や瞑想教室に通うこともすばらしいことです。わたしの寺院でも法華禅としてそのニーズに答えようとしています。

止念観には至らずに、法華禅に留まるといえども、仏の意識存在を背景に行う禅定は、ただの瞑想とは一線を画します。


止念観は、人々のこころを整え生活全般を豊かにしていくていく錬金術なのです。



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