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お釈迦さまの教え「仏教」は、宗教ではありません。
お釈迦さまが人となって残された、混乱した社会に生きる人々のための智慧の集大成です。
このブログでは、その教えをはじめ、わたしが僧侶として体験した
目に見えない世界の出来事などを紹介しています。
読む人にとって、生き続けていくためのヒントになればと公開しています。

仏の教え

ネット社会における口罪

はじめに

仏教では、身・口・意を三業といってここを修行にて浄めよとしています。

お釈迦さまもこの修行を戒律と合わせて中心に据えていました。この中でも、行動にでる「身」や言葉で発する「口」は表に現れますが、意業というのはこころの動きですので表からはわかりません。

また、こころの動きがなければ行動にも言葉にも出ませんので、三業の内意業が根本であることがわかります。

ただ、人のこころの中は自分が思っている以上に、ぐるぐるがやがやと忙しく廻っていて、容易に制御できるものでもありません。表に現れなくともこころの業が大きくなれば、内外へと漏れ出していくものです。

意業が強く大きければ、人を暴力で傷つけたり、犯罪といった行動として表に出てしまうことさえあります。これはこれで、大きな問題です。

今回の記事で意業ではなく、あえて口業をとりあげているのは、それがたかが言葉と侮っている場合が多く、罪の意識も低くなりがちなところからです。

現代ではネット社会が生活に深く入り込んでいます。人口減少もあって、いろいろなことが人を介さずにネットを介するようになってきています。人にとっては、もはや切っても切れないツールとなっているのです。

今回は、現代のネット社会と口業についていっしょに考えてみましょう。

口業について

言葉を発することは、とても手軽な行為です。「口は災いの元」とは言いますが、思い返すと不意について出た言葉によって、人を傷つけてしまったり、人生を左右する事態になってしまった方もいらっしゃることでしょう。

口走った結果が自分だけに降りかかれば、まだ良い方だとも言えます。でも、言葉というのは身軽なので、色んなところまで飛んでいきます。また、言葉は様々なものに変貌します。刃物と変わって生死に関わってくると一大事です。

言葉が引き起こす問題は、家庭でも職場でもありとあらゆる場所において四六時中起こっています。言葉を操り、人を陥れる確信犯はさておいて、思ったことをそのまま口に出してしまう人はどこにでもいます。

目に見えない世界では、口業は口から刃物や針を飛ばしているかのように見える

失言を誘う業(ごう)の正体

言葉は自分の業をまとっています

業を知ることは自分を知ることです。自分を知らずに、不意に出した言葉は凶器かもしれません。

特によくしゃべる傾向にある人は、口罪に要注意です。まずは、自分の日頃の言葉遣いを思い返してみましょう。

言いすぎたり、余計な一言というのは誰しもあり得ることです。失敗を反省し、次を如何に防ぐかで人の価値は決まってきます。

動物は感情のままに吠えます。一般的な動物と違い、こころの中でこれから発言する言葉を反芻(はんすう)することは、人間だけができる非常に高度な行動です。

発言の内容を吟味して、控えたり変えたりするよう心がけることが人にはできます。感情のままに、失言を繰り返していては動物と変わりません。

その上で、発言を非に思うかどうかは、その人が持つ業にかかわってきます。だから、自分をまず知ることが大事なのです。

発言の吟味は、人だけができる高度な行為

お経に書かれた口業

お経の中でこの口業について大切なことが書かれています。その経は、懺悔の法門【観普賢菩薩行法経】です。

【観普賢菩薩行法経】では、お釈迦さまが煩悩を抱えたまま苦悩する人々に、六根を清浄に保ち、罪障を消滅させる道を説きます。その、六根の内の口業の元、すなわち舌根(ぜっこん)について、触れている場面の一部です。

真読:諸悪業刺 従舌根出 【略】 如此悪舌 断功徳種

訓読:諸々(もろもろ)の悪業の棘(いばら)は舌根より出ず。
【略】此(かく)の如き悪舌は功徳の種を断ず。

~妙法蓮華経 観普賢菩薩行法経

このように人を刺すような棘は舌根から起こります。悪舌というものはすべての仏の功徳の種を破壊してしまうこともあります。言葉が引き起こす罪はとても重く、仏種をも壊してしまう「謗法の罪」の危険を有しています。

謗法の罪とは、人が起こしうる最悪の大罪です。その一言で地獄行きだってありうるかもしれません。そう書かれているのです。

ネット社会の口業

ネット社会は言葉をさらに軽々しています。投稿者の顔や社会的な立場のわからないことで自由な発言が期待できまる一方で、自分が見えないことをいいことに誹謗中傷をするこころない人々も横行しています。

こころ無い発言から自殺に追い込まれるといったケースも多発し社会問題化しています。

スマホやパソコンで書くという行為も口に出して人を攻撃してしまうことと同じ口業です。ネット社会になって、口業は人の罪をさらに増やし、その罪の意識も薄いものとなっています。何気なく書いた一言が、謗法の罪を犯していることさえあり得る危険な状況なのです。

キーをたたくだけの軽い行動の故に、その結果までも軽視してしまいます。その実、面と向かった殺傷と同じ過ちを犯しています。目に見えない世界で見えているのは個々のこころの動きです。

リアルだろうがネット社会だろうが、こころから起こる発端は変わりません。

目に見えない世界では、リアルな世界もバーチャルな世界も変わらない

まとめ

人は思ったことをそのまま発言すると往々にして失敗します。

この言葉は適切だろうか

傷つけたりはしないだろうか

思いついた言葉を今一度こころの中で反芻してみましょう。最初の内は面倒くさく感じられるでしょう。人は、コミュニケーションすることで成長しそのことで楽しみも享受できる動物です。

ネット社会は便利さを追求した結果、人が生み出した人が見えない新たな社会の新たなフェーズです。

意に反した発言はもちろんのこと、相手を思って考えた言葉でも、言葉は独り歩きしはじめます。言葉しか情報がない以上、間違ってとらえられることが当たり前と考えましょう。

一方で、言葉でしか伝えられない大切なこともたくさんあります。お釈迦さまは、相手の境涯に合わせて言葉を選び教えを説いていました。

言葉で人を殺しもするし、生かすこともできる

目に見えない世界からすれば、リアルでもネット社会でも変わりません。これは、わたしの経験から得られたものです。ネット社会でのこころない一言は、リアルな暴言と何ら変わらないのです。

思いついた言葉は、相手のことを考えながら今一度こころの中で反芻する。

発言の再考は、人として気がけたい行為



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