はじめに
今回から、数回にわたり瞑想法について書きたいと思います。
瞑想の歴史は長く、紀元前から様々な様式で行われてきました。瞑想法には、様々な種類があります。瞑想法の基礎から、できるだけ分かりやすく順を追って説明していきたいと思っています。
タイトルに『人生が変わる』と大きくは出てみましたが、そもそも人生を変えようと思う人は、何らかの事情で自分では制御できない問題を抱えている方々でしょう。
それは例えば仕事での行き詰まりであったり、自分自身の性格だったり、考え方の癖だったり、私生活の乱れもあるかもしれません。
そこには、何とか変えたいという意思はもちろんのこと、変わった自分の未来に期待する気持ちがあるかと思います。この心意気溢れるタイトルが、読者さんの琴線に少しでも触れることができたならと思っています。
なお、わたしの寺院で半世紀に渡って取り入れている禅定は、お釈迦さまのお弟子さんたちが実践していた古(いにしえ)の教えにある瞑想法です。どうしても仏教的な側面があります。予めご了承ください。
瞑想のプロローグ
お釈迦さまも様々な苦行では成しえなかった境涯まで到達できたのが、瞑想による修行法でした。といって、お釈迦さまの境涯まで、今のわたしたちも瞑想することによって到達できるかというと、残念ながらできません。というのも、お釈迦さまとわたしたちとでは前世までに積み重ねてきた功徳の大きさが違うからです。
ならば禅道のように、【無】になりさえすれば悟りに至るのではないかと思われるかもしれません。でも、これも大きな勘違いです。
悟るということと、【無】の境地とは無関係
一方、禅道のいう【無】の境涯に至ることは難しいと考えている方がほとんどかもしれません。実は、みなさんも【無】に至ることは可能です。【無】というのは、悪まで中間地点でしかありません。
わたしの寺院が実践している禅定の目的の地ではありません。ここに、既存の禅や瞑想に対して、わたしの寺院の禅定との大きな誤びゅうがあります。
お釈迦さまの境涯には到達できませんが、実践していけば、人生は自然と変わっていきます。目の前の問題にも対処できることが可能となるでしょう。
世間は瞑想の効果を過小評価している
また、仏教的に言えば、瞑想によって仏の元で自分を見つめることは何より功徳になるのです。
まとめ
瞑想というのはこころと向き合うことでもあり、とてもあやふやで分かりにくいプラクティスです。そこから、人生が変わるような、または好転していくようなことが瞑想によって実現できるとはちょっと信じがたいかもしれません。
しかし、日本中の神社やパワースポット巡りをしたとしても、功徳も積まれることもないし何も変わることはないでしょう。このような全国行脚のような行動は、瞑想よりもはるかに労力ややった感だけは大きいと思います。
人生を好転させるトリガーは、外にではなく内に秘められている
これから、説明していく瞑想法がみなさんのこころのどこかと符合して今後の人生に役立てるきっかけとなれば幸甚です。