はじめに
今回のテーマは気分です。精神科学的には気分というあやふやな概念は存在しないかもしれませんが、わたしたち寺院の仏教的な側面から言えば、人にとって重要なテーマのひとつです。
日常でも今日は気分が良いとか気分がすぐれないとか頻繁に使うと思います。人は気分によって生活しているといっても過言ではないかもしれません。気分というのは行動に直結するトリガーです。人は気分次第で様々な行動を起こしていくこともあります。
一方で、様々な影響を受けやすいのも気分です。何も考えずに気分次第で行動する人も一人や二人ではありません。
気分は通常受容体としての面が強いのですが、これを能動的にできないかというのが、本日のテーマです。
気分とは
まず【気分】とは簡単に言えば、人が感じる気持ちのことを指します。具体的には、喜びや悲しみ怒りや恐れ、興奮や落ち着きなどが挙げられるでしょう。日常的に、
今日は、気分がいい
怒られて、気分が悪い
など、人はほとんど気分の中で生活を営んでいます。そして、その気分に従って行動してしまいがちです。
気分優先の不都合
気分が優先権を持ってしまいがちなのが、自動車の運転がよい例です。
目で見たことをすぐに行動にしなければ事故を招いてしまう車の運転。あれこれ考えている暇はありません。
車というものは、目に映るものと行動を直結させる機械です。運転は、その反復練習装置ともいえます。
車の運転は閉鎖された空間で繰り返される気分の起伏から行動への連鎖作用
そうして後先考えずに、あおり運転のなど車を殺人兵器に変えてしまうような危険な行為をしてしまうこともあるのです。
業と気分との関係
業・こころ・気分の関係を大胆に書くと下記のような図になります。
上図を解説すると次のようになります。
本当のこころ(剥き身のこころ)は、業に覆い隠されている
<業とこころと気分の関係>
・業というのは、長い年月を掛けて積み重なって、こころに常に何らかの作用をしてる。
・業が性格にも関わってくる(カッとなる、気分が不安定、人をさげすむ癖。etc)
・気分は、外的要因から刺激を受けやすい。
・外的要因がない場合も業から直接影響を受ける。
この一連の相互作用が、こころの癖となって表れているのです。
こころの癖が気分として現れ、実際はこのラインを行ったり来たりしながら、人の個性として目に見えてきます。その根源となっているものが業というわけです。
しかし、早々前世から積み重なってきている業の解消など個人では解決できないし、短期間で解決できる問題ではありません。
日常生活では、気分を統制していく穏やかな【ながら修行】を気がけるのです。
ながら修行とは
この気分をポジティブに利用する方法があります。
競技の前や緊張する場面などで、過呼吸などで積極的に気分を高めたり、深い呼吸で気分を落ち着かせたりしながら、局面を乗り切るといった方法です。
その時々の場面に対応しながら、気分を上手に利用しながら日常生活に生かすことです。業の奴隷にならずに、こころの癖に左右されない生活を心掛けていけば、まわりもその成長に伴って好転していきます。
乱れたこころや外的要因に振り回されないことが大切
まとめ
気分とは、とても短い時間で変化します。人は短いスパンで物事を考えれば考えるほど不幸に陥っていきます。気分は独り歩きしてこころを先導してしまいますので、一過性の気分で行動することはもっとも避けたいことです。
それには、気分を統制する方法を早い段階から養うこと
その効果は一時的ですぐに元に戻ってしまうかもしれません。元には戻るかもしれませんが、週一回の瞑想教室といっしょで毎日、気がけるだけでも、やらないよりはずっと良いのです。
そうして、大きな気分の中で目には見えない世界を含めた長い目、高いところからの視点から周りを見渡す余裕が、人生により良い結果をもたらしていきます。