はじめに
何だかおどろおどろしいタイトルですねw 書いて少し後悔してしまいましたが、これも目に見えない世界ではとても大切なことですので、構わず先に進ませて頂きます。
障りのことについては、先だっての記事で触れました。
今日は、おさらいがてら別の角度から、分かりやすく説明してみたいと思います。
おさらい
障りというものは、神霊や人霊が何かを訴えるために、人に様々な障害を及ぼす作用を言います。この障害の一文字を取って【障り(さわり)】といいます。もっとも、本当にそれが語源かは定かではありませんw
この障りですが、障る対象との関係が見ず知らずで無関係ということはまずありません。そこには何らかの直接的な関係性があるか、あるいは間接的でも先祖や親族などに、その昔何かあった可能性が強いです。
なかなか切れない因縁
因縁には様々な形があります。自分自身が起こした善行や悪行、自分の先祖が起こした善行や悪行、自分の住んでいる場所に過去あった事件や事故、それに伴う時系列も様々です。
本人の今世を基にして、今の世なのか前世なのか、それとも本人の先祖が原因となっているのかなど。これらが複雑に絡み合って形成しています。
場所についても、因縁の深い土地に無関係の人が、そこにたまたま住んだだけで障りを受けるようなケースは稀です。先だっての記事の看護師さんの例のように、障りのある土地に住む因縁を生まれながらに持っていたとも考えられます。
本人にその気はなくても、あたかもその土地に引き寄せられるように選んで住んでしまう
不思議なお話しですね。
因縁の標的
因縁による障りは本人に直接及ぶこともありますが、ほとんど場合子や孫など家族の一番弱いところにかかります。一族にとって、一番ダメージの大きいと思われるところに及ぶのです。
障りという現象は、どんなにきれいな街になっても、見た目がきれいな人々が闊歩する世の中になっても変わることはありません。人が生きている以上、過去から現在、未来に至るまで、因縁が伴わないわけにはいかないのです。
目に見えない世界のルールは、因縁の歪の解消に向けて粛々と進められる
悪い因縁を断ち切る
悪い因縁の解消を自然に任せていけば、不幸な人が増えていきます。
当然、本人にしろその先祖にしろ一族の問題ですから、一族内部で解決すべきでしょう。しかし、その因縁を偶然とまでは言いませんが、見ず知らずの弱いこころの持ち主が被ってしまうこともあるのです。
そうすれば、また新たな因縁を生んでしまい不幸の連鎖が止まりません。そこで、わたしたち僧侶のような修行を積んで、目に見えない世界の問題に対処するような職業が昔から存在するのです。
しかし、僧侶も長い年月を経てその智慧や知識まで失いつつあります。一方で、目に見えない世界の対応する者として、霊媒師を否定はいたしませんが、一時しのぎになってしまいがちです。
まとめ
結局のところ悪い因縁も元をたどれば人のこころ
しかし、死んだ者たちのこころを変えることは困難です。先祖のことだから、自分の知らないことだからといって、自分には関係ないでは済まされない世界なのです。
先祖のこころの癖は、ある程度子孫もまた引き継いでいきます。
自分のこころから、悪い因縁を起こさせない、引き継いでいかない努力が必要
そのためにも、お釈迦さまはこころの在り様を重視されたのです。