はじめに
瞑想は世界中で企業研修にも取り入れられるほど普及し、インドやタイ、ジャワなど異国の文化の色合いを取り交ぜながら、様々な癒しの空間を演出しようと工夫しています。
先だって、時給数万円という合衆国のビジネスマンの方々にお会いしたことがありました。みなさん一応に追われるように忙しく、気が休まる暇もないとのこと。そんなビジネスマンたちは、瞑想をストレス解消や集中力の向上などに役立てているようです。
最初に言葉についてのお断りをしておきたいと思います。
一般的に知られている【禅】という言葉は、【禅定】の省略形
当ブログならびに以下の記事からも、禅定という言葉を用いることにいたします。
それでは、禅定と瞑想の違いから始めたいと思います。
禅定とは
瞑想との違い
禅定といえば、禅寺で座って行う座禅を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
座禅は人々の間へ広く浸透し海外の知名度も得て、禅宗の寺では外国人の出家者がでるほど波及しています。ひとえに、座って【無】になるという目的のわかりやすさと、【わびさびの日本文化】にとても符合したスタイルによるところが大きいと思われます。
ところで、瞑想はよく禅定と混同されます。
瞑想も禅定も、源流はどちらも上座部仏教(南伝仏教)から由来したもの
瞑想も禅定も内省するための技術的なプラクティスで違いはほとんどありません。
ただ、瞑想はヨガとも連動したり、姿勢や呼吸法など限定されない自由な形式で行う場合もあります。従いまして、禅定は瞑想のいち形式ともいえるでしょう。
また、瞑想はストレス社会に直接対応できるような功利的な側面が強いと思われます。そのため、手習い教室のように取り組みやすく、社会に浸透しています。
一方、禅定には瞑想よりも宗教的または修行のニュアンスが強い印象があります。わたしの寺院でも瞑想という言葉が通りがよくて使用することもありますが、修行という観点からすれば禅定を使った方が、このブログの趣旨に沿っています。
そんなところから、癒しやストレス解消の意味合いが強い瞑想よりむしろ、禅定について記事にしようと思います。瞑想については、改めてここで説明しなくても解説しているところは山ほどあります。そこで、瞑想については、他のサイトに委ねたいと思います。
なお、禅定は修行を主眼とはしていますが、その副次作用として、瞑想教室同様、癒しやストレス解消の効果もあることを付け加えておきます。
禅定の種類
禅定は、禅定の最中で自然と起こってくる思いに対して、どのように対処するかによってざっくり二通りに分けられます。
- ヴィッパサナー瞑想に見られるような、思いへの観察を主体とし自分のこころの中に起こってくる気持ちを静かに見つめて、ありのままに掴もうとする方法
- 主に禅宗に見られるようなひたすら無心を目指し【一切法空】を旨とした方法
ただ、ヴィッパサナー瞑想にもアメリカでは宗教色を除いたものと宗教的なものもあって、一概には、宗教・修行という枠では分けられない場合もあります。
まとめ
瞑想と禅定、少し無理やり感もありますがその目的によって分けてみました。次回は、禅定が宗教的な修行である点に焦点を当てて、禅定についてもう少し掘り下げてみたいと思います。
禅定には、難しい漢字が並ぶ様々な段階があります。その段階になればどうかなるというものでもないし、学者が後付けしたものと思われます。
禅定の段階の詳細には触れませんが、こんな見方もあることを知って頂けたらと思っています。