さすらう間に日は暮れて

さすらう間に日は暮れて

死んだらどこに行くのかなんて、普段から誰も考えないことです。しかし、いつか確実にその日はやってきます。

この世をよくよく観察すると、他人事は他人事、自分のことさえも他人事、そんな人々が多いことがわかります。

人の生き様を表した仏教の言葉の中に、無明があります。

【無明】とは生存の迷い

死んだからといって、誰も待ってはいなし、どこへ行くのかなんて誰も教えてくれません。ナビも道案内もないのです。当然、迷います。

しかし、それは道が分からず、迷っているのではありません。

迷いは、他ならぬ自分のこころが創造している

生前も死後もあなたに変わりはありません。死んだ後も生前の価値観を持ち続けてしまうのです。

今のままで死ぬことは、無明のままで死ぬことに他なりません。

お題目やお念仏を何万回唱えてもいっしょ。決して脅しているわけではありません。

生きている間にこころのあり方を見定める

数千年前、お釈迦さまは乱世の世の中に、命がけで人々を導きなされました。

この世の生き方で、あの世、そして次の世が決まる

これが真理です。

生きているうちに死後の世界にフォーカスしていくと、今どう生きるべきかにこころが向かう。何の為に、このブログを読む出会いを得たのか考えてほしいと思っています。この世に偶然はありません。偶然とはカオスな社会の産物です。

そんなことしても無駄だ

楽しくもないことに関わるな

わたしは何をやっても駄目だから

そんなこころの声は悪魔魔愍が、あなたの中には巣くっているのです。悪道輪廻から抜け出せないまま迷う。結局、その責任は全部自分に跳ね返ってきます。

些細なことに惑わされない、どっしりとしたこころをつくる

これが、すべての人が目指す、あの世に続く真理であり、今世における幸福への道筋です。西洋では時間は横に流れる。多くの価値観に惑わされていては、人生はあまりに短すぎます。

さすらう間に日は暮れていくのです

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