はじめに
先だっての記事の中で、寺院の特徴についてお話ししました。
この記事の中でも余法について少し触れましたが、わたしの寺院の守護神/祈祷神にお願いするその余法のひとつとして、家祓いと地鎮祭があります。
一般的に家祓いというは、神社や霊能者に依頼する場合が多いと思われます。
地鎮祭については後日ということにして、今回は、寺院の家祓いについてお話しをしてみましょう。
家祓いとは
【祓(はら)う】という言葉の印象から、その場にいる目に見えない何らかの存在を強制的に排除するという意味に取られがちです。
しかし、わたしの寺院の家祓いでは、依頼者の生活空間を囲んだ主要な柱一本一本に、寺院の守護神にお願いして目に見えないお札を打っていきます。つまり、依頼者の生活空間を目に見えないお札で囲み、そこに確固たる結界を作り出すのです。
その領域には、天界に背くような動機を持った目に見えない霊などの意識存在は、決して入ることができません。
これは、生きた人間に対しても同じで、人が悪想念から引き起こすような犯罪も寄せ付けないということなので、防犯効果も兼ねているというわけです。
また、集合住宅の場合は前居住者の愚痴や争いごとなど悪想念が残っているかもしれません。これも、もちろん払っていきます。(この場合は、その場から残存している悪い念を払います)
本来は、地鎮祭から行って建物が建っている土地に住み着いている霊などを治めた方が良いのですが、すでに建ってしまっている集合住宅の場合そうもいきません。
家祓いの方法
細かい作業の手続きは書きませんが、わたしたち僧侶は清浄衣という神事を行う衣に着替え、ある決まった手続きに沿って木剣という法具を振ります。
そのむかしは、本物の真剣などを使っていたようですが、現代では物騒なので木剣を使用するのです。
ちなみに、邪霊を祓うというときも、木剣を使いますが使用目的が異なります。
この場合、払う対象は霊ではなく、木剣は守護神に説得の仲介をお願いするために依頼者がお供えした供物を清浄にするために使用いたします。
霊などの意識存在に対して、木剣で強制的に排除することはない
それは、魂は、木剣で祓うことにより傷ついてしまうからです。
そんなことでは、反対に施術者が霊から恨みを買ってしまいます。あくまで、読経しながら対象の霊などの意識存在を守護神を介して説得するのです。
家祓いにも、供物が必要です。お酒や根菜、お菓子、お魚など供物の種類も決まっています。
供物というものは、勧請され御足労頂く神に対する依頼者の感謝の証です。言葉では、不明確な感謝のこころを形として差し出すのです。
功徳と利益には、必ずバランスが必要です。家祓いで神は大変なエネルギーを使います。人と同じように神様にその労をねぎらい感謝を示さなければなりません。
感謝なしでは、神も人と同じように疲れてしまうのです。この感謝の印である供物を、依頼者の功徳とし家祓いの利益を受けるというわけです。
祈祷、家祓いや地鎮祭など余法に関わる神事において、僧侶はあくまで手続きや段取りを行うだけで、主要なお仕事をして頂くのは神様なのです。
おわりに
地鎮祭はもちろんのこと家祓いでも土地に関わる神事ですので必ずその土地の氏神様には許可を受ける必要があります。
このように、家祓い・地鎮祭というのは目に見えない世界の中では周りに結構、神経を使うのです。
話しは変わりますが、以前、家祓いの効果について第三者が証明したことがあります。
その家の担当はわたしではなかったのですが、依頼者が、僧侶の家祓いというのが疑わしかったのでしょう。後日、霊能者に家祓いを再依頼した人がいました。
その霊能者が、家祓い前に依頼者の現場に来た時に、
既に柱にお札が打ってある
と言われて断られたそうです。