はじめに
表題のその1からずいぶん経ってしまいましたね。
前回は、神社を中心にお伝えしましたので、今回は寺院のことについてお話ししましょう。
寺院について
海外では、一般的な寺院に対して持っているイメージは、”仏像””や日本庭園”といったものだと思います。そして、日本においては、その2つの印象に”葬式”が加わりそうですね。
ほとんどの寺院は仏教施設です。仏=お釈迦さまの教えを伝える場所となっています。ところが、供養も人助けなのか、いつも間にか葬式まで執り行うようになりました。
ちなみに、インド仏教徒の僧侶は葬式をいたしません。昔インドに行ったとき、現地のガイドから「葬式で大分儲けているんでしょ」と冷やかされてしまいました。
ひょっとして、葬式=日本仏教は世界的なイメージにまで膨れ上がっているのではないでしょうか。
もちろん、死者を送る営みは人のみができる尊いことですが、本来の役目を見失って、葬式という儀式だけが独り歩きしてしまった現代の寺院の姿があります。
また、多くの寺院はお釈迦さまの教えではなくて、宗祖、開祖の教えを伝えるところがほとんどです。
一方、日本で有名な観光寺の多くは重要文化財というところも多くて、美しい庭や古い建造物などを維持・管理することが、仕事の中心というところもあるでしょう。
祈祷を行う寺院
寺院は宗派によっては、祈祷を行います。これは、祈祷神を祀ってある寺院に限られます。もちろん、祈祷によって人の願いを叶え利益を与えることと、お釈迦さまの教えを伝えることとは大きく異なります。
少し以外に感じられるかもしれませんが、お釈迦さまにとっては人の魂(意識存在)の向上が第一ですから、その魂に付帯するような肉体の経済的・身体的な悩みには興味がないのです。
しかし、人は往々にして経済的な問題や身体的な苦悩にこころは歪んでしまいがちです。そこで、寺院における祈祷というのは、祈祷神がお釈迦さまに成り代わって、こころの修行の妨げとなっている問題を取り除き、修行に専念させようという神事なのです。
これをわたしが修行した寺院では、
こころの修行を行う本法とするに対して、利益を与えて修行に導くことを余法という
これは、わたしが出家した寺院のみならず、日本中にあると思われますので、寺院の中に神を祀っているところもあるわけです。こんなことから、特に若年層の間で、神社と寺院の区別が難しくなっている点ではないかと推測されます。
まとめ
ほとんどの神社は、古事記をその起源として神を祀る場所です。そこには、自然霊をはじめお稲荷様や中世に名をはした武将などを祀るところもあります。
神社の境内は神域ですからきれいに清掃され清浄感が漂いますが、人を寄せ付けない冷たさもあります。
寺院は、お釈迦さまをはじめ宗祖などの教えを伝えてこころの修行を行うところです。寺院も身やこころを清浄に保つということで、これも神社同様きれいに整備整頓されています。また寺院では本来お釈迦さまの教えを伝えるところで、葬式は付帯行事となります。
寺院でも神事を行う所があるというのは、意外に思われた方も多いかもしれません。
今度、各地の寺院に行かれる機会があったなら、改めて見てみると新しい発見があるかもしれません。