目に見えない世界が見える仕組み

目に見えない世界が見える仕組み

はじめに

なんで、目に見えない世界が見えるんだろう?

こんな疑問を持った方が多いと思います。生まれ持った特殊な能力と思っている方がほとんどではないでしょうか。今回は、このテーマについて少しだけお伝えしようかと思います。

本日のテーマはとても大切なことですので少し長くなってしまうかもしれません。(いつものことと突っ込まれそうですねw)

目に見えない世界を見せているもの

結論から言えば、目に見えない世界が見えているのは神が介在しているからです。これは、サイキックでもミディアムでも同じです。

一般的に、力者という言葉がありますが、能力の属性からすればどちらかといえば力者が近いと思われます。

というのも目に見えない世界が見えるのは、わたしの寺院の住職を除いて個人の持つ能力というわけではないからです。

個人の霊感の強弱で、多くはその背後にある神の力によるもの

ですので、前述の霊感力者もしくは【神に通じることを許されたもの】という意味で神通力者が相当だと思っています。

ただ、ここで重要なことは”目に見えない世界を見せている”神の正体についてです。

次に、目に見えない世界の背後にある神々についてお話ししてみようと思います。

神の正体

わたしが出家した寺院の場合、お釈迦さまが説かれた法の体系が背景としてあります。その法を基にして、寺院の教義があり、その縁起からお釈迦さまの脇神の守護を祀っています。

わたしたち僧侶の仕事は、信徒さんとお釈迦さまと脇神との仲介を中心としたものです。

寺院の僧侶が、目に見えない情報を得ることのできるのはこのためです。また、お釈迦さまの脇神は神といえども、神社に祀ってある神との違いは、お釈迦さまの元で修行をされているところです。

神々がどのようにして修行をされているのか、見当もつきませんがそれは以下の経文に基づいています

叉我分身 無量諸佛 如恒沙等 來欲聴法 及見滅度 多宝如来 各捨妙土
及弟子衆 天人龍神 諸供養事 令法久住 故來至此 爲坐諸佛 以神通力 
移無量衆 令國清浄

~妙法蓮華経 見宝塔品第十一

わたしの寺院の脇神は吉祥弁財天龍王様と八大龍王様です。

吉祥弁財天龍王様は主に美・財・除病の守護をつかさどり、八大龍王様は信念と根性を守護されています。

脇神をはじめ寺院で勧請される神々から許されて、わたしたち寺院の僧侶は目に見えない世界での活動をしているのです。

住職の使い込まれた経文

神という存在

神も人と同じように自己実現の欲求があり、人に祀られることによってその欲求を満たす

わたしたちの脇神の基本行動はお釈迦さまの法、ひいてはキリスト等含めた宇宙を構成する大きな法に基づいています。

万が一、僧侶が私欲のために動いても捨てられるだけです。僧侶には人々のこころの修行を前提にした場合のみ目に見えない世界での活動を許されています。

目に見えない世界での活動はお釈迦さまと宗祖1との約束から許されているもので、お釈迦さまを本尊とする寺院としては異例なことなのです。

一方、背後に潜む神の一部はギブアンドテイクによってその関係が成立しています。わたしも出家後ある神々に誘いを受けました。

神から見せられた目に見えない世界を、自分の利益のために行使するとその取り引き関係が発動します。なかには進んで神々を利用するような亡者もおりますが、ギブアンドテイクを基本とした神と人との関係は破滅の結果しか生みません。

邪神は姿を変化し人々にとって馴染みの神の名や姿を語り偽ることもある

人の命など、神の前にあっては赤子の手をひねるように奪うことができます。

目に見えない世界を私欲のために利用せずに、人の利益に役立てること

目に見えない世界を享受するためには、しっかりした法の体系と邪神など受け入れない強いこころが必要なのです。

見えない世界を見るということ

わたしの場合目に見えない世界が見えるのは、そのほとんどが脇神による取捨選択ですのでその点は気が楽ですw

あらゆる目に見えない情報が日常、間断なく入ってきたらもうたまりません。基本的に、脇神が”この人物は”と判断した場合についてはその利益となる情報を得られますし、祈願も確実に届きます。

一方、ただ利益のみ、その場の一時しのぎという人物に対しては、神より厳しい指摘をされます。

何でこのような下劣なもの(祈願者)を救わねばならんのか!

とは、ある日の八大龍王様の言葉です。

しかし、寺院に訪れる人々は結構利益ありきの人々の方が多いのです。この点はとても誤解を受けやすいところでもあります。

古代蓮と龍王堂

おわりに

すこし表題から散漫になってしまいましたが、何となくでも伝わりましたでしょうか?

目に見えない世界が見える仕組みには神が介在している

わたしの場合、例え最終的には人のためになろうとも、目に見えない世界を自分の利益のために使うなど法の精神から外れるため思いつきもしません。

みなさんも、くれぐれも目に見えない世界には、背後に神々が介在している場合もあることを頭の隅にでも置いて慎重に判断して頂ければと思います。

  1. 宗派の開祖。宗派を起こした人 ↩︎


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