はじめに
以前、家祓いについて書きました。
今回は地鎮祭について書いてみたいと思います。しかし、寺院自体に地鎮祭の依頼は少ないので自然とわたしの経験も少なくなります。
というのもお寺で地鎮祭をしているところはそもそも限られてるし、世間的にも、寺院ではまずやっていないだろうと思われているからです。
多くの方が、新築の地鎮祭などは神社に依頼すると思われます。そこで、このブログでも度々登場して頂くわたしの師匠のひとりでもある尼法師の経験を書いてみたいと思います。
地鎮祭の例
地鎮祭は、土地に固執し漂う意識存在があれば、これらを治め清浄にすることで、そこで商売する人々や暮らしていく人々がつつがなく安心して過ごすために行う神事です。
四天王を東西南北に配置するなど、家祓いよりもひと手間もふた手間も準備が必要となります。
尼法師の地鎮祭までの経緯
福岡には八女市というお茶所があります。
八女でも有名で大きなお茶屋さんの社長が、尼法師が住職を務める分院に、尼法師の評判を聞いて知り合いの伝手を頼って相談に来ました。新しいお店を兼ねたお茶の工場を新たに建てたいとのことでした。
八女という土地は、古くから豊かな土地に恵まれた立地環境も整っている土地柄です。そのため、源平の古戦場から南北朝に関わる戦いまで、土地をめぐる激しい争いが、中世において何度も繰り広げられた曰くのある場所となっています。
まあ、日本中の川沿いの肥沃な土地は、おおむね似たような過去の歴史を持っています。
建設予定地の調査
早速、建設予定地に尼法師が赴き建設予定地を一歩ずつ歩きながら調査してみると、6体の死体が埋まっていることがわかりました。
死体といっても現行の法制度が施行されている時代のものでしたら一大事件になりますが、1500年前後の中世戦乱のものと考えられるため特段問題にはなりません。
それぞれ6体とも、かなり無念の中で亡くられているようでしたので、尼法師は社長にこの土地を諦めて別の土地を探すよう進言しました。しかし、社長はこの土地を大変気に入っており、何としてもここに建てたいと切望いたしました。
社長の熱意におされた尼法師は、六体の遺体を全て掘り起こし、その遺体を鎮魂する供養塔を建立するという条件付きならば、と社長に提案しました。
発掘と供養塔の建立
承諾した社長は尼法師が指定した場所を実際にユンボで掘り起こしてみました。すると、尼法師の言う通り6体の骨が出てきました。
うち一体の埋まっている場所が隣接の土地にかかっていて、その土地の所有者と少し揉めそうになりましたが、尼法師が双方の仲立ちをして穏便に治めることができました。
その後、供養塔を建立し尼法師が開眼供養し無事、地鎮祭を執り行うことができたとのことです。
現代の地鎮祭
尼法師の八女での例は、まだ長い間空き地だったところも多くあった頃で、少し掘り返すだけで戦乱の頃の骨がごろごろと出てきていた時代です。特に古戦場があったところはそんな土地ばかりでした。
しかし、再開発にともない、たとえ骨が出てきても誰にも知られることもなく処分されることも多くなりました。それらの遺骨は、供養されることなく処分され、行き場を失った残留した意識存在が、彷徨っていることでしょう。
マンションやアパートなど、一見きれいで住み心地も良さげな建物が、昨今は乱立しています。でも、目に見えない世界からすると無念の思いが渦巻いている場所が多いのが現状です。

おわりに
手厚く葬られることもなく亡くなっていた戦乱の兵士たちや民衆の無念は、現代においても消えることはありません。しかし、一見してきれいなコンクリートや建物は、それら苦しみや無念を覆い隠してしまっています。
人々から目に見えない世界に対する理解は薄れ、供養する余裕もなく、やれ迷信だ、やれ気のせいだとかき消されているのです。
迷い苦しむ霊の姿は、将来の自分の姿かもしれません。目に見えない世界を信じていなくとも、もう少し想像力を働かせて、供養する気持ちだけでも持ち続けて頂きたいなと願っています。
地鎮祭とは、そんな非業の最期を遂げてしまった人々のこころを救う最後の砦ではないかと思っています。
今回は、地鎮祭のお話しでしたが、一般的な意味合いとは少し違っていて、驚かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
わたしの場合、骨の残存は確認できるとしても、師匠の尼法師のように数やピンポイントの場所まで細かく特定できるか自信はありません。
強い神通能力を有した尼法師ならではの、的確で誠実な地鎮祭の事例でした。