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お釈迦さまの教え「仏教」は、宗教ではありません。
お釈迦さまが人となって残された、混乱した社会に生きる人々のための智慧の集大成です。
このブログでは、その教えをはじめ、わたしが僧侶として体験した
目に見えない世界の出来事などを紹介しています。
読む人にとって、生き続けていくためのヒントになればと公開しています。

あの世 楽に生きる

執着はこころに傷をつける

はじめに

わたしたちは、人やもの、人との関係や自分の生きがい、色々なものに対して執着を持ちがちです。子や孫でも、かわいいかわいいと思いも深まれば、いつまでも傍にいたいと執着も起こるだろうし、ストイックに身体を鍛錬するのもある種の執着であるのかもしれません。

一般的に、執着は良くないといいます。

執着と嗜好、その判断が難しく、執着まで至ってしまっていることをなかなか気が付くことが出来ません。ほとんどの人は、この境界が不明瞭で迷いもあるのではないかと思います。

しかし、執着が怖いからと言って嗜好を持たずして生きることは難しいことです。誰しも仙人のように霞を食べて、山の上で生きるわけにはいきません。

執着の可能性の一例とした体の鍛錬も、気持ちの切り替えや生きがいに昇華できていれば、瞑想と似たような作用も期待できるでしょう。

今回は、このやっかいで愛おしくもある、人が持つ執着について考えてみました。

執着について

まず、執着について、目に見えない世界からみてみましょう。

現世を離れて、あの世に向かうためにはこの執着が大きな足かせになります。あの世に向かうために大切なことは、執着やこの世の名残りから離れることです。

多くの人々が、執着を手放すことを簡単だと思いがちです。執着などいつでも離せると。でも、経験上死んだ後の剥き身のこころには、執着は思った以上にこびりついてしまっています。

この世の名残りには、家族への思いや苦労して築いた財産など様々あります。

特に成功したと言える人生を歩んできたり、楽しかった仕事や趣味などに喜びを謳歌してきた方にとって、この世には離れたくても離しきれないたくさんの名残りがあることでしょう。

執着まで至らずに、名残り程度のままでしたら、何も問題はありません。実は、それが執着まで発展すると一大事なのです。

一般的にあまり知られていませんが、目に見えない世界では、執着はこころに傷をつけています。傷となってしまうと、すんなりと離すことは困難を極めます。

執着というのは自分のこころに傷をつけること

通常、少しずつ未練を取りつつ、あの世へと旅立つ準備が整っていきます。名残りや心残りとは執着は全く別物です。

だから、わたしを含め目に見えない世界を知る人々は、自身のために執着はよしましょうねと言っているのです

執着という傷を癒すには、多くの時間を要します。一方で、執着は人が思ってもいないところに働きます。例えば、病気や事故で亡くなる方々です。

病身の苦悩

わたしも、50代まではそこそこ体も動いていましたが、60を超えるとあちこちの衰えが急速に進むのを感じます。

通常、突然の事故や衰えや生活習慣によって病気等を発症し、病状によっては痛み・傷みに苦しむこともあります。

雑誌やTVで必ず目にするものは、何とか老いや病気にあがなおうとするサプリや民間療法の数々です。ピンピンコロリと亡くなるのが理想で観音様に祈っていれば実現できるということを聞きます。

ピンピンコロリとは、死ぬ直前まで元気で過ごし、病気で苦しんだり、介護を受けたりすることがないまま天寿を全うすること

~wikipedia

話しは変わりますが、観音様と言えば、わたしの幼い頃から事あるごとに守護して頂き、出家に至る寺院へと導いて頂いたのが観音様でした。わたしの父母は寺院にご縁を頂く前に亡くなりましたが、父母ともこの観音様へ事あるごとにお参りしていました。そのためかどうかは分かりませんが、両親とも倒れた時には既に死期にあり、わたしには介護等の経験がありません。

さて、わたしの事は置いておいて、一般的には病身の苦しみを抱えながら、亡くなってしまうケースも多くあることでしょう。

苦痛への執着

亡くなってしまえば生前の病気など関係ないと思われる方がほとんどだと思います。

しかし、死者の魂に対して引導を渡す役目である僧侶がいなくなっている現在、死んでからも死んだ意識もなく病や痛みに永遠にあえいでいる霊が数多くあります。

死とは決して生前の苦悩を晴らすものではない

これは、死後を否定する大多数の人々に決して通じることはありませんが、目に見えない世界の常識です。また、特に自殺を考えている人々に声高に伝えたいところです。

人は不思議な生き物です。あまり長く痛みが続いてしまうと、その痛みや病身そのものに執着が起こってきます。

人は肉体を失うと、痛みや病身の思いを抱えたまま時間が止まってしまう

同時に、自殺に至ったこころの苦しみもまた、死は癒してくれません。

本当に人の苦しみは生老病死。この点で、人は悲しみに生きる動物である一面は、ぬぐい切れませんね。

まとめ

亡くなった後にも病痛で苦しんでいれば、真の僧侶ならばその役目のひとつとして、年忌のたびにその痛みへの執着を取り去るよう説いていきます。

死後起こるかもしれない病気や痛みへの執着は自身ではどうにもできませんが、生前の執着は、まだコントール可能です。

常日頃から、自分の執着の度合いに注意を払いながら生きがいとできれば、死後の状況も変わってくるでしょう。死後を考えるまでもなく、この世でも執着心は度を越すと周りに迷惑を及びかねません。

楽土が死後にしか見出せなかった中世に比べて、見かたによっては現代にはたくさんの楽しみや生きがいを見出す材料が豊富です。

執着にまで至らせないで、嗜好や娯楽に留めて上手にコントロールしながら楽しく人生を送りたいですね。

それには、このブログで何度も言っていますが、

まずは自分を知ること

何にしてもこれが大事だということです。



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