はじめに
わたしは二十年くらい前に、一人暮らしの母と住むために家を建てました。
土地の地鎮祭と家屋の家祓いは、当時すでに縁のあった尼法師にお願いいたしました。尼法師は地鎮祭の折、ここは珍しく(中世の戦乱期の骨やそこにまとわり漂う霊など)何もないとおっしゃっていました。
新築した家屋に住み始めた頃、本山を訪れた際に住職より、
ああ、君のところは霊さんの通り道になっているね。
と言われていました。でも、当時はまだ目に見えない世界に対する意識は低く、【霊の通り道】なるものがあるんだな程度に聞き流していまっていたのです。
今回は、霊の通り道に家がかかってしまった実例を、わたしの家でご紹介したいと思います。
通り道で留まる霊
家を建ててから十数年間、霊の通り道があっても何事もなく無事に過ごしていました。
出家後一時期妻が入院したため、しばらくは月の半分ほど自宅にいたことがあります。妻の退院後もしばらく、わたしは自宅にいましたが、その間妻と娘は廊下や洗面所等で、この世のものでない初老の女性を頻繁に見かけるようになっていました。
どうやら、霊の通り道の途中、わたしの家に留まってしまった方のようでした。これは推測ですが自宅を建てた地域はわたしの先祖が住んでいた場所でもあるため、通りすがりの霊とはわたしの一族と何らかの因縁もあるのでしょう。わたしに関わる因縁・因果のひとつということです。
また、在宅していた間、毎日仏壇への読経を日課としていたため、供養の波動でも伝わったのでしょうか。ここに留まれば、漂う苦しみから解放されるかもしれないと思われたのかもしれません。
住職は、初老の女性の霊について、既に天眼神通にてご存じでした。一方その頃、娘は不登校で苦しんでいました。
住職と相談したのち、初老の女性の霊が、娘の不登校に全く影響がないとも言えないので、供養塔に入って頂き供養することになったのです。
供養塔について
その昔、供養塔といえば大きない石材を組み合わせ、屋外に建立するものでした。時代を経るにつれて、供養塔を見守るものがいなくなった際のことや地権者の状況の変化など、後始末のことも考える様になると、大きな石で作ることは無くなりました。
そこで、現在は位牌型の供養塔を仏壇等に供える形になっています。わたしが出家したばかり頃、既にほとんどが仏壇に供える位牌型の供養塔になっていました。
信徒さんへの回向の際、当時のわたしは供養塔が大きな石の塔と思い込んでいたため、野外を探し回って恥をかいたことがありますw
供養塔建立の際の出来事
供養塔の筆入れは住職からして頂く予定になっていました。供養塔を建立することは決まっていたのですが、住職がお忙しかったり、わたしの都合が合わなかったりと延び延びになっていました。
すると、初老の老女の霊がしびれを切らしてしまったのでしょうか、ポルターガイスト現象が起こり始めました。
買ったばかりの冷蔵庫から、原因不明のまわりに轟くような唸り音が鳴り始めたのです。冷蔵庫を空っぽにしたり、修理屋さんに見て頂いても原因はわからず、返品交換することにしていました。
ようやく住職に書いて頂き供養塔の開眼式は、自宅にてわたし自身が行いました。一週間ほど続いていた冷蔵庫の唸り音も開眼式の日程が決まった途端、嘘のように静まり返品交換ぜずに済んだのです。今でも、その冷蔵庫は問題なく稼働しています。
また、霊感のある妻が感じていた廊下の暗い雰囲気も、開眼式を終えるとすっきりとしたように感じました。
おわりに
目に見えない世界は、複雑な世界です。肉体を持って感得するにも難しい世界ですが、それでも肉体は滅んでも、人のこころというものは変わることはなく通じるものです。
供養塔建立後読経した際、初老の女性が意識上に現れてくれました。
妻や娘が見た初老の老女の髪は長かったのですが、肩できれいに揃えられていました。おむすび型をした初老の女性の顔からは、笑みもこぼれていました。