はじめに
最近の物価高はすごいですね。ほとんど輸入に頼っている日本ですから、物価高騰は、これからも続いていくことでしょう。
一方で、わたしが就職したのは30年以上前ですが、給与もあのころと比べてあまり上がってはいないようです。もっと暮らしが楽になるよう、体を壊してまで働かないで良いような、そんな世の中になってほしいですね。
僧侶というのは、個人が抱える問題を焦点としています。ですので、選挙権はあるものの政治とは無縁の世界です。でも、個人だけでは解決できない問題に遭遇すると、もう少し政策でなんとかならないものかと思ってしまいます。
政治と人
政治が何とかするレベルの話しが、昨今噴出しているようですが、その政治も結局は人です。
けれども、昨今の政治家たちの人としての顔つきや目つきからは、この国を良くしていこうという意思は微塵も感じられないようです。政治家の多くはいつしか選挙の取り巻きだけに顔を向けてしまって、国の将来を担うプライドも矜持もどこかに置いてきてしまっているようです。
似たような構造疲労が日本のいたるところで見られるようになりました。
ひたすら既得権益を守ることに専念してきたことで招いてしまった構造疲労は、若者の目から光を奪っていきます。本当に希望の持てないやるせない世の中ですね。
若者から未来を奪ってしまうような政治をしていては、この国の未来も危ぶまれますね。
人の顔とは
人の顔つきからは、これまでしてきたこと、その目つきからはこれから向かう方向が現われています。
顔つきと目つきは、その人の過去と未来を表している
普通、これまでの顔を作ってきたそのままが、目にも表われています。目と顔、相互に作り合っているのです。そのズレが生じるのは、普段良い人が悪いことをした直後や、悪い人が奇跡的に良いことをした後です。
好きなだった映画やテレビ番組を観なくなった理由もここにあります。
最近は、人とはまあこんなものだとそれほど気にならなくはなってきています。それでも、演じている人の内面やコメントしている人の内心がふと垣間見えてしまうと、ストーリーや番組に集中できなってしまうのです。
建前と内心がはるかに乖離した国会中継など、とても見られたものじゃありません。
おわりに
人のこころは顔に表われる
容姿には関係ありません。時代が変わろうが価値観の多様性にも関係ありません。それから、酷いこころ持ちや良いこころ持ちの人は声や体の動きにも表れたりします。
ただ、世間にはその見分けがつかない人が多いだけです。
他方、寺院には、人の外面と内面とのギャップが激しいこの世に心労して、若くして出家した僧侶も寺院には多数おられます。人を見る目は生まれ持っている人もいますが、修行によっても培われます。
みなさんも、人を見る目を養ってみませんか。見え過ぎると苦労も多くなりますが、ある程度の人を見る目は世渡りにとても役立ちます。
もっとも、映画やテレビ番組好きの方には、あまりお勧めいたしません。