はじめに
インドから帰ってきました。今回、突然インドに行こうとしたわけは、自分の年齢や体力を考えたとき、行けるとすれば今年が最後になるだろうと思ったからです。
ここ最近の物価高などの影響か、合衆国をはじめとしてインドの聖地にも、日本人観光客がほとんど見られなくなっていました。反対に、チベットやタイ、ミャンマーなどから訪れる人々はたくさんいました。
私が行った時には、たまたま中国の団体客がいましたが、どうやらモディ首相の方針で中国へのビザを制限しているとのこと。そのためか、中国の観光客はその潜在的な規模に対して少なかったように思いました。
さて、お釈迦さまの聖地には、ざっくりと以下があります。
- 生まれた場所
- 悟る前に苦行をされた場所
- 苦行の末死との際から供養を受け生還された場所
- 悟られた場所
- 開悟後最初に説法をされた場所
- お釈迦さまが説法をしながら弟子たちと過ごされていた場所
- お亡くなりになった場所
それぞれ、アジアのどこの地かなどは、興味のある方で調べればすぐにわかることなので、ここでは改めて解説はいたしません。
改めて見直してみると偉人ひとりの足跡にしては結構ありますね。
訪れることができた聖地では、あたかも現代社会の主要な問題である貧富の差と温暖化を象徴しているように、表題の通りの状況でした。
観光地化する聖地
インドの発展は、戦後の日本を思わせるような凄まじい勢いです。
空港をはじめ交通の拠点が拡大していて、都心ではクレーン車が林立し、幹線道路沿いには商店や民家の建設ラッシュです。
デリーをはじめ地方都市でもあらゆる建物やインフラの建設が加速しています。どこかの国の政治家の言うような【速度感を持って】とは、インドのような状況を指すのです。
町や村に見られる子供の数も半端なくて、乗り切れないほどの数の制服を着た子供たちを詰め込んだ数十台のリキシャが行き交う一方で、学校にも通えない貧しい子供たちが、重い荷物を頭にのせて仕事をしている様子もあちこちで見られました。
多くの仏教の聖地を擁するビハール州では観光事業を推進していて、お釈迦さまのゆかりの地では物乞いの排除と施設の維持も兼ねて入場料を設け、ゴミもなくきれいに整備されていました。
追われた物乞いさんたちの行き先が気になりますが、それでもインドには何とか生きていける余裕がまだ存在しています。高台にある聖地の中には、ロープウェイやホテルの建設も急ピッチに進んでいるところもあります。
目に見えない世界のお話し
ところで、今回のインド訪問の理由はもう一つあります。それは、呼ばれたからですw
わたしには、以前の記事の中ではあえて書きませんでしたが、前世の記憶とかなりの因縁とがインドにあります。
実を言うとわたしはとても出不精で、外出をはじめ観光旅行などには全くと言っていいほど興味がありません。しかし、一か月ほど前から色々とあって、インドへ行かなければならない使命感のような意識が芽生えていました。
しかし、計画はたててみたもののどうしても行く気にはならず、やっぱりやめておこうかと思いあぐねていた時、何と潔癖症ぎみの娘が、
わたし行く
と言い出してしまったのです。それで、娘と二人しての、今回のインド訪問となりました。
行ってわかったのですが、やっぱりそれなりの理由があって、行って良かったと思いました。娘にとっても、ちょっと刺激が大きすぎたようですが、良い経験になったようです。わたしも随分娘に助けられました。
まとめ
最後に、まったくわたしとは関係のない動画ですが、インドで出くわした出来事を紹介して終わりたいと思います。
今回インド訪問の主要な目的のひとつであるマハーボディ寺院の内部での出来事です。たまたま、マハーボディ寺院の僧侶が内部の仏像の衣替えをしていたところに出会いました。とても短い動画ですが、珍しい風景なので紹介しておきたいと思います。
総じてとても良い経験ができました。インドの人々は荒削りですがとてもおおらかです。
空港の身体検査では自動小銃を持った軍人からどやされたりもしましたが、日本と違った自由な空気感で、とても生きやすさを感じました。貧富の差も大きさもありますが、成長している国でもあるので、みなさん良い表情をされています。
食事もまたおいしくて、チャイも大好物になりました。でも、エコノミークラスでも高額で、長時間の飛行滞在はとても負担になります。
それさえなければ、行って数か月ほど住んでみたい土地柄です。