はじめに
因縁・因果は人と人とのつながりだけではありません。モノにも宿ることがあります。
因縁はモノにも宿る
この「宿る」という言葉が適切かどうかはわかりませんが、何となくイメージして頂ければと思います。
一方、人の強い思いを表す言葉に【念】があります。人は、モノに対して執着にも近い強い念を持ってしまうことがあります。因縁・因果がモノに宿るというのは案外当たり前なことなのかもしれません。
今回取り上げたのは、そんなモノに宿った念について考えさせられたケースです。
若い青年のケース
わたしの担当ではなかったのですが、寺院に、近所の青年が親御さんを連れて相談に来られました。いつまでも続く高熱に伴う体調不良に悩まされていて、どこの病院を訪ねても原因がわからないとのことでした。
早速、読経し、調べてみると一人の武将が、恐ろしい形相で青年の首を締めていたそうです。担当した僧侶が、青年が体調不良に陥る前に、どんな行動を取っていたか、行先など詳しく聞いてみました。
すると先日の記事の例で書いた城跡から、形の良い石を訪問の記念に持ち帰っていたとのことでした。
どうやら原因はその持ち帰った石に宿る念だったようでした。早速その石をできるだけ元あった場所に青年自らの手で戻し、自らの行いを詫び、武者へ怒りを治めようこころから手を合わせてくるよう伝えたそうです。
石に宿る因縁
病気の原因となった石は、きっと五輪の塔の一部だったのではないでしょうか。
中世では、戦場で亡くなった武者を供養するために五輪の塔を建立します。今で言うところのお墓のようなものです。
建立と言っても戦乱の世ですので、現代のようにきれいに削り出した石を重ねることはできません。近場で見つけてきたような、できれるだけ形の整った石選んで、それを重ねて塔とするのです。
そのため時間が経つと、そのあたりに転がっている石と見分けがつかなくなってきます。武将は、そんな自らの墓標として認識している石を取り戻しに来たのでしょう。
青年にとっては城跡を訪れた記念のなんでもない石だったのでしょうが、武将にとっては自分の一部ともいえる石だったのです。
まとめ
今回は、少し特殊な例でしたが、モノには人の因縁も宿ります。
昨今、若者たちがお金や承認欲求のため人を傷つけたり、モノを盗む事件が多発しています。目に見える世界では人を傷つけることはもちろんのこと、モノを盗む行為は犯罪です。刑事罰とは、犯罪が割に合わないと戒め、再発を防ぐための法律です。
これは、目に見ない世界でも同じようなシステムが存在します。人を傷つけたり、モノを盗む行為はかつて無事にあっただろう因縁の場を乱すことです。目に見えない世界では、これを元に戻そうという見えない力場が発生しはじめます。
この元に戻そうという力場はゆっくりとですが正確に、その因果を結んでいきます。人ばかりでなく盗まれたモノにまで、因縁は及んでいるのです。そうしてその乱れが解消されるまで、今世ばかりでなく本人の生死に関係なくそれは永遠に続いていきます。
人が作った法律からは、逃げおおせることはできるかもしれません。しかし、目に見えない世界での因縁・因果には妥協や終わりはありません。
因縁はとても厳格で、恐ろしい目に見えない世界のシステム
一方で、良い行いを心がけていれば、たとえこの世で結ばれなくとも、やがては良い因果として自分へ帰ってきます。
そんな生き方を心がけたいですね。