はじめに
日本における多くの宗派は、亡くなった後の世界はおろか、目に見えないこの世以外の世界について存在しないと表明しているか、沈黙を守っています。
一方で、わたしのような個人ブログから発信することと、宗やお寺から公式に発信することとは、そもそも背負っているものが違います。
安易に、目に見えない世界を公式に発信してしまうと、一般人に受け入れられないばかりか、反社会的ともとられかねない可能性があることもあるからです。
でも、わたしのこれまでの人生の中で、目に見えない世界の最前線にいらっしゃるであろう僧侶の方々から、あの世の通り一遍のお話し以外全く聞くことができなかったのはとても残念なことでした。
果たして、僧侶というのは、何に向かって祈り、誰に対して供養しているのか。ひょっとして金集めだけが目的なのか。そんなうがった見方さえも生まれてしまいます。
もちろん、目に見えない世界について言及することのない僧侶でも、人間的に優れ、徳の高い方ももちろんいらっしゃいます。
また、お釈迦さまは、目に見えない世界のことを想ったり考えたりする時間があれば、目に見えるこの世をいかにより良く生きていくかについて考えることの方が、何より大切なことだともおっしゃっています。
それでも、一般の方がこの世をより良く生きていくためにも、この世以外のことについて、少しだけでも知っておいた方がいいし、僧侶にはその役割があると信じています。
その点を踏まえて、これ以降、読み進めていただければ幸いです。
目に見えない世界のはじまり
先日の記事を読まれた方のなかで、鋭い方はすでに気付かれた方もいると思いますが、わたしは出家した当初、目に見えないものを見ることはできませんでした。霊感などまったくない本当に理屈っぽい人間だったのです。未だに、理屈っぽさは、記事の端々にもにじみ出ているかもしれません。
前回の記事で武士と添い寝を楽しんだwわたしと同じ年に出家された方は、寺院の末寺の息子さんで、入った時より僧侶としての素養がありました。目に見えない世界を感知することは、出家した寺院では十分条件ではありませんが必要条件なのです。
というのも、何らかの原因不明な事情で困っている方々に、目に見えない世界から得られる情報を、その方を救済するひとつの手立てとすることがあります。
これを、お釈迦さまの教えを直接伝える【本法】対して【余法】といいます。
この余法ができないことには、僧侶として半人前ということだったのです。
当初これには困りました。わたしは、慣れない寺院での生活と余法習得の焦りから、もう投げ出して、止めてしまいたいと何度も思いました。
それでも、朝早くより、水行や読経、止念観1を繰り返し行い、そして祈りました。ようやく、見えない世界が見え始めた時には、すでに3ヶ月が経過していました。何とか、僧侶の入り口にたどり着くことができたのです。
おわりに
あれから、十年たった今でも、目に見えない世界やあの世について、決して理路整然と説明できるわけではありません。とても複雑で深遠なうえに、人の認知能力にも限界があるからです。
また、他方、目に見えない世界を積極的に探ることも少なくなりました。通常、相談者と対面して、目に見えない世界で得られた情報を伝えるべきことなのか、伝えてはいけないことなのかを判断します。
一方で、一般的な傾向として、昨今の若い人々は、目に見えない世界の話しをすると怖がってしまうためです。
まあ何はともあれ、寺院の学校の期間は一年でしたが、その短い期間だけでも、目に見えない世界のお話しは、あの世の世界から神界、仏界などわたし自身の事例を含めとても書ききれるものではありません。
次回は、目に見えないで世界が、見えるようになったきっかけとなった出来事を、お話ししたいと思います。
今日の一言
今日から何か読者の方々の、人生の小さなヒントになればと思い始めてみました。
人に生まれるは稀(まれ)なり
”もし生まれ変わったたら~”と人は安易に使ってしまいます。しかし、人に生まれることは奇跡に近いことなんです。
次もあるからと思ったら大間違い!今世を大切に生きたいものですね。
- 止念観とは、お釈迦様存命の時代、お弟子さんたちが阿羅漢果を得るために取り入れた瞑想修行のこと ↩︎