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お釈迦さまの教え「仏教」は、宗教ではありません。
お釈迦さまが人となって残された、混乱した社会に生きる人々のための智慧の集大成です。
このブログでは、その教えをはじめ、わたしが僧侶として体験した
目に見えない世界の出来事などを紹介しています。
読む人にとって、生き続けていくためのヒントになればと公開しています。

憑依

出家当初の失敗談

注意)以下の記事には、生死に関わるセンシティブな内容が含まれています。
   特に気の弱い方や神経質な方、霊感の強い方は、
   できるだけ読まないようお願いいたします。

はじめに

目に見えない世界の見え方は僧侶によって様々です。霊感の取り方と言い換えてもいいかもしれません。

ある方は、いきなり映画を見る様に明確に見ることができれば、ある方は、聞こえてきたり、感じたり感覚を研ぎ澄まして見通します。中には、霊があまりはっきり見えるので、実物との区別のつかない僧侶もいます。

わたしの場合必ず体の異常として現れます。ある時は、体が重くなったり、足に痛みが走ったり、胸が苦しくなったり。それでは突発の病の症状と区別できなさそうですが、病とは明らかに違う体の反応を、わたしは感覚的にわかっています。

その後、この痛みはどこから来るのだろうとその痛みや苦しみに集中します。すると、その原因となるものが意識の中に浮かび上がってくるというわけです。

今回は、出家当初でやらかした失敗談です。わたしが霊感を取れるようになっのは、以下の記事に書いた出来事でしたが、今回書いた経験も最も最初の経験のひとつでした。

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回向供養でのできごと

寺院に来てひと月くらいたった頃、兄弟子に付いて信徒さんの年忌で回向にいくことになりました。

当日は、季節外れの暑さで湿気も多く、おまけに寝不足でとても体調が悪いときでした。年忌の家は用水路が縦横無尽に走っている町で、まだ目に見えないものは見ることもできなかったのですが、何となく、何かが用水路のどこかに潜んでいるような気がしていました。

画像はイメージです。

ほどなくして年忌を行う家につくと、玄関わきには家紋がデザインされた提灯が飾ってあって、わたしの実家の家紋と同じでした。わたしは、酷く気になってしまって、この家とわたしの先祖とは、何か因果関係でもあるのだろうかと思いめぐらし始めてしまいました。

やがて、回向供養の読経を終え帰路に就いたのですが、なぜかその家紋のことがまだ気になって頭から離れません。

家を象徴するものに同調したのがいけなかったのでしょう、縦横に走る町の水路を抜けていくうちに、水路の底から何かが意識に入り込んでくるものを感じました

そう、憑依されたのです。

(画像はイメージです。)

憑依された感覚

僧侶が憑依されるなんてあるまじきことです。

妻は憑依体質で、かつてわたしが祓った経験もありましたが、わたしは、憑依体質ではなく、これまでにも経験がありませんでした。

体調も悪く、家紋など家を表すシンボルにいつまでも意識を向けたことがいけなかったのでしょう。

運転していた兄弟子は、早速わたしが憑依されたことに気づいていました。にやにやと笑いながらわたしの様子を時々伺っていたのです。

憑依された気持ちを説明することは、とても難しいのですがまるで頭からベールのようなものをかぶっているような気分でした。わたしの中で、わたしが通常考えないようなことを想ったり、普段注目もしないような道路脇の標識が気になったり。

とにかくわたしではない意識がどこかにもうひとつあって、自分にはない予想外の内省や外界への反応を感じていました。

寺院の供養塔にて

外へ法事(ほうごと)から戻ったら、必ず供養塔に参り、ご本尊に無地のお礼教を挙げます。供養塔に参るというのは、もし霊がついていれば、そこへ入って供養を受けてもらうためです。

しかし、寺院内の供養塔へ行く前に、車から降りたところで外れたような感覚がありました。外れると途端に気分が軽くなりました。通常、たとえ憑かれても、よほど強い霊でない限り、その場や道すがらで落ちたりしますので寺院まで持ち帰ることはほとんどありません。

しかし、わたしは供養塔の傍まで持ち帰ってしまったというわけです。わたしに憑いていた浮遊霊については、供養塔に入られたかどうかはわかりませんでした。

おわりに

後で、兄弟子より以下のように言われました。

憑かれていたようだったので、供養塔で後ろから数珠で払い落とすつもりだった

まあ、いかに疲れて気分が沈んでいたとはいえ、とても恥ずかしかったですね。しかし、憑依されたときの感覚を味わうこともできましたので、将来何かに活かす機会があるとも限りません。

今にして思えば良い経験ができたと思っています。

今日の一言

恬安憺怕

無量義経徳行品

すこし難しい言葉ですが「てんなんたんぱく」と読みます。無量義経徳行品に書かれてある言葉です。

物ごとにこだわらずにサラリと生きること、またはその姿勢

一般的に、「水に流す」という言葉がありますが、水は、留まったり同じところをぐるぐる回って留まると濁ります。何事も留めることなく、水が流れていくような心持ちでいなさいということです。

水に流すことは、本当に難しい思い方です。特に、物ごとにこだわりが強かったり、思いがこもっていればいるほど、手放し流すことに困難が伴います。難しい行為だからこそ、実行する意味があると思います。

この無量義経徳行品には楽に生きる知恵がたくさん書かれています。



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