煩悩と悟り
煩悩とは、日本中の寺院でよく聞かれる言葉です。その一般的な意味からみてみましょう。
心を煩わし、身を悩ます心の働き
コトバンク
上記のような意味のようですが、なんでも108つもあるそうです。人間も大変ですねw
煩悩には、人が生きて行くため必要とされる欲望まで含まれています。煩悩とは仏教用語ということもあり、古来より仏教と密接な関係があります。
特に中世の頃では仏門にいる人間にとって、最大の苦悩はこの煩悩でした。生き物として肉体を保とうとする本能から引き起こされる欲望は、こころをかき乱しこころの内に何度も消しては現れてくる強敵だったのです。
浄土真宗を開いた親鸞聖人も煩悩との葛藤を書き記しています。愚禿(ぐどく)といって【煩悩をもったまま悟りを開く】修行を試みていました。
その昔、僧侶は自らの煩悩に無謀ともいえる戦いを挑んでいたわけです。
煩悩をコントロールする
人は食べたいし、寝たいし、休みたいし、楽をしたい。
煩悩なしでは、人は生きられない。当たり前ですよね。要点は、108つもあるとされる煩悩を、ほどほどにして自分のコントロール下に置いておくことです。こころを乱すほど煩悩を暴走させない。煩悩を敵ではなく、見方を変えて観察しましょう。
煩悩は楽しむべき人としての特権
「自分は煩悩が多いからダメだ」と思わないことです。ひとつひとつ自分の煩悩をあり方を見定めて、それを小さくしてコントロールしていくことです。
執着した人生の行く末
ただ、煩悩を放っておくと、強い執着に変化していきます。その実例を寺院で聞いたことがあります。
あるおばあちゃんが老後が心配だからとお金を出来るだけ残しておこうと、ガスも引かずに七輪をつかって生活。ギリギリに切り詰めて貯めたお金を布に包んで体に巻き付けていました。
その後、心臓病が悪化してあっけなく亡くなってしまいましたが、巻き付けていたお金の入った布が腫れた体に、深く食い込んでしまっていました。結局、その布は取ることができずにそのまま火葬したということです。
亡くなってからずいぶん経ちますが、目に見えない世界では、おばあちゃんは今でも体に巻いたお金をあの世とこの世との狭間で探していることでしょう。ちょっと笑えないお話しですね。
老後のためにお金を貯めておきたいとは誰しも思うことです。しかし、余り過ぎた思いから、いつしかお金に執着し始めてしまい、強い思いを残してしまいました。
まとめ
執着がコントロールできなくなった煩悩の意味ならば、そのコントロール術を若いうちから学んでおくべきです。
僧侶という職業柄人の様々な死に様に出会う機会があります。生き様は死に様にも表れます。また、目に見えない世界も含めれば、死後の様にも現れるようです。
煩悩という漠然とした観念で留められていられるのか?
煩悩のうちに、それを小さくしていく術を持っているか?
最終的には、煩悩を意識できないほど小さくさせていくことが人の歩む道です。