究極の憑依

究極の憑依

はじめに

毎月17日は、吉祥弁財天龍王様の恩日です。その日は、日頃の守護を感謝して各方面から三々五々お礼参りに訪れます。

読経が終わり、お礼参りが一通り終わると住職がご相談をお受けになる日があります。先月の恩日後行われた中で周りの僧侶が騒然とした相談事がありました。

関東在住の女性

関東方面からみえた女性でした。ご相談の内容は、相談者が許せば僧侶全員で伺います。それは、僧侶も相談を聞くことによって住職が如何にして見えない世界を感得されているのか。それに基づいてどのように指導されているのかを学ぶためです。

詳しいお話しは省きますが、その女性はたくさんの霊に憑依されていて、まるで生きる供養塔となっていました。これまで、人が供養塔となる事例に出会ったことがなかったのでとても衝撃的でした。性格が突然変わってしまう女性症状は、別人が中から現れてくる様を見るようでした。久しぶりに恐怖を感じたほどです。

医者に見せても症状が先例もなく複雑で、そこへ行っても取り合ってもらえなかったとのことでした。一般的に精神科で診断を受ければさしずめ解離性障害と診断されるかもしれませんし、症状を鑑みるとかなり強い薬を処方されていたことでしょう。

信じるということ

結局、その女性から憑依している霊を住職でもギリギリ出すことは叶いませんでした。そのギリギリにある問題は、当の女性を含めて中に入っている霊たちがお釈迦さまを信じていないことでした。

本人を含めて人のこころが深く関わっているこのような事例は、たとえ住職や神仏の力が大きくともその固まってしまったこころをひも解くには時間がかかります。

聖書の中でも『信じるものは救われる』と示されていますが、寺院にも【大信力】という言葉があります。前者の聖書からの言葉では、一般的にキリストを信じれば天国へ行けることとなっていますが、これはあの世ばかりではなくこの世に生存していても言えることです。

それは、信じるというこころは、そのこころを救うことにも繋がるからです。

まとめ

関東の女性の例では、中に入っている霊も住職の神通力によって由来も詳細もすべてわかっています。しかし、その詳細を書こうとしたところ、ざわっと嫌な感じが働いてしまいましたので控えることにいたしましたw

現代では、信じる、信仰というとマインドコントロールと連想されてしまうとても残念な時代です。

何にせよ、信じる力を再認識した特殊な相談事例でした。

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