自己紹介 雑記

出家前に経験した出来事

はじめに

今回は、出家前に寺院でのワークショップを通して経験したお話しをしたいと思います。

寺院では、こころの修行とお経の勉強を集中的に行う三日間ほどのワークショップがあります。白装束を身にまとい、山奥の隔絶した世界で、どっぷりと神仏の世界に浸り、俗世間とは隔絶した生活を経験するのです。

ワークショップの一場面 (一部個人が特定できないようボカシを入れています。)

といっても、完全に隔離されているわけではないので、希望すれば少し距離はありますがコンビニ等に行くこともできます。

今でも出不精なわたしですので、研修会への参加するとは思ってもいないことでした。昔から団体生活などもっての外といった性格なのです。それでも、結局このワークショップへの参加は、出家前に合計七回を数えることとなります。

ここまで続いたのは、寺院に漂う何とも知れない厳かで清浄な雰囲気がそうさせたのかもしれません。そして何よりも様々な不可思議な体験に夢中になってしまったからだと思われます。 

はじめての参加

はじめての参加は2008年の春でした。寺院の分院に妻と参拝に訪ね、ふと見かけた参加者募集のポスターに興味を惹かれたのがきっかけでした。それまで、妻は十年以上も前より寺院の信徒であったのに対して、私はというと、結婚を機に寺院へ通っている妻の同行人に過ぎませんでした。

寺院に行くと、そこの信徒さんたちが「本化菩薩会」と書かれたタスキをしていて、

何て、気合の入った人たちなんだろう!?

と、ただただ感心し、気後れしていました。

それまで、仏教はもちろんのこと宗教など縁遠く、生活の中で特に意識することもなかったのです。そのため、用事もないのになぜ寺院にわざわざ信徒さんたちが集ってくるのかも、皆目見当がつきませんでした。

一方、その当時は、最愛の母の突然の死や、仕事の行きづまりも感じていて人生の節目にありました。そこで、このワークショップで何か得るものでもないかなと何となく思っていたのです。

寺院の院代である尼法師が、そんなわたしのこころを見透かしたのでしょう。あれよあれよという間に、ワークショップへの参加が決められ、白装束を借りることや様々な段取りが整えられていきました。

こうして、信徒である妻は一度も参加したことがなかったのに、信徒でもなかったわたしが参加することになったのです。

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参加後の二つの変化

往生際の悪いわたしは、決まってからも相変わらず参加には気後れしていて、いつかキャンセルするタイミングはないかとずっと探っていました。

結局渋々参加することになるのですが、初めてのワークショップは、慣れない所と団体行動から来る緊張感とで、何がなんだかわからないまま終わってしまっていましたというのが正直な感想でした。

しかし、ワークショップが終わって間もなく、思ってもいなかったふたつの大きな変化を経験することになったのです。

ひとつ目の変化

ひとつ目は、これまで見たこともなかった身内が登場する夢の数々でした。

以前、見ていた夢はたいがい支離滅裂で、突拍子もない荒唐無稽なものでした。身内はおろか親族が登場することなど決してなかったのです。

しかし、亡くなったばかりの母が私のことを心配する様子や、十年数年前に亡くなった父が、妻の義父とどんな話をしているのか尋ねるといった、とても具体的で信ぴょう性の高い夢を次々と見るようになりました。

また、ワークショップ中に住職がお話しされた前世についての話題から、自分にも前世なんてあるのだろうかと漠然と思っていると、ある日、あたかも現実の出来事のような夢を見ました。

その夢の中で、自分はどこか見知らぬ外国のようなところにいました。大きな山に囲まれた草原がとてもきれいなところで、身寄りのない自分が、牛乳配達をして働いていたのです。

その牛乳配達の仕事は、親代わりになって育ててくれたおじさん(亡父だとわかりました)が営んでいました。

やがて、理由はわかりませんが、牛乳配達を廃業することになって、それまでの育ててくれたおじさんの元を去ることになっていました。とても寂しく悲しい夢でした。

夢が終わった後も、その感傷にしばらく呆然としていたほどです。

ふたつ目の変化

もう一つの変化というのは私の性格に現れました。

亡父母も怒りっぽくて、特に亡父は瞬間湯沸かしのような激高を見せる人でした。この二人から生まれた私もまた、同じような性格に悩まされていて、私の「怒り」は血の因縁と諦めていたのです。

言うまでもなく、怒りの暴走は、人生において何も得るものはありません。

幼いころには、亡父の激高におびえ、結婚してからも、今度は自分自身が、この怒りのために家族を時々悲しませていました。まさに家系の忌むべき性格といえるでしょう。

ところが参加後は、これまで散々心をかき混ぜていた怒りが、こころまで降りることなく、こめかみ辺りがポッと温かくなるのを感じるだけとなっていたのです。

四十路の半ばを過ぎて自分の性格の変化など想像すらできなかったので、ただ面白いと思っていました。

以後の研修会では、自分はどのように変わっていくのだろうかと、年がいもなく、まるで子供のようにわくわくして、その後七回もの参加に繋がっていった理由にもなりました。

まとめ

過去のわたしは、大学時代哲学を専攻し、合理的な考え方が染みついていました。

死後は「無」であると同時に、人生は経済力が勝者となると偏ったものの見方をしていました。そんな若い頃の思いについては、以下の記事に書いています。

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一時は五つに及ぶ仕事を掛け持ち、燃えカスにさらに火をくべる様に働き、目的のないまま暴走するこころを止められずいました。イライラする思いは怒りの感情へと変化し、妻や娘にまで悲しい思いをさせていました。

またその頃、住職をしてガラスのように壊れやすいこころと言わしめた娘は、数度の登校拒否を繰り返していました。これまでのわたしだったら、叱咤激励し、なぜ学校に行けないのかと、こころを激しくかき乱していたことだったでしょう。

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変化したわたしのこころは、娘の苦悩を自分のこととして受け止めることができました。大きな気持ちを持って娘と向かい合うことができていたのです。

ワークショップ後、仕事を制限し自営業となったわたしは、妻やたまに学校に行く娘の弁当を作ったり、登校できない娘を取引先へ連れて行って帰りにラーメンを食べたり、いっしょに唄を歌ったり、家にいる娘との生活を楽しむ余裕ができました。

妻や娘とともにある生活は、仕事に追われていた自分だったら見えなかった人生の風景を、二人の目を通して追体験することができることはこの上のない喜びでした。また、人生半ばで、このように変化していく自分を体験できることは大いなる驚きでした。

当時のワークショップへの参加のきっかけは、目に見えない存在が導いてくれたのか、私自身の魂が望んだのかはわかりません。

その後は、転がっていく石のように、あっという間に出家に至ることになります。

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これが、出家前に経験したお話しです。信じられない方も多いでしょうが、嘘も脚色もなくわたしが経験した真実です。



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