はじめに
人間はこうと決めつけるとなかなか離さない
一般的に思い込み、固定観念などと言われますが、人が陥りやすい考え方です。これが厄介なのは、当の本人が気が付くことがないということです。
誰しも年を取ってくると、他の考え方や新しい発想などを柔軟に受け入れることが難しくなってきます。最近話題にもなっているLGBDに関わる性へのちょっとした思い込みなど良い例ですね。大概気付いていない自分に驚かせられます。
また、せっかく気付いたのに、それでお仕舞ではもったいない話しです。以後は、気がけて思い込みを解消していきたいものです。
今回のお話しは、この固定観念や思い込みといった考え方と仏教との関係です。また、一般の方々にとっての仏教というわけではなくて、実際仏教を信仰の対象としている出家者をはじめとした人々を対象にしています。
仏教を取り巻く状況
人は一度固定観念が出来てしまうと、なかなかそこから抜け出せないことが多々あります。
今回のテーマに関わっている重要な人の考え方です。これは、宗教観においても全く同じです。一般の人々にとっては、仏教に関わる機会は、荘厳なお寺の建造物やお庭等を観光したり、実家のお盆や命日に触れるくらいでしょう。まさしく仏教のこれまでのあり方を猛省すべき現代の状況です。
仏教は形骸化し、もはやお題目や念仏を残して死語に近いお話しです。今回のテーマである仏教への固定観念も人々の間に埋め込まれてしまって、これをホトクのは並大抵のことではありません。
その間、無宗教・無信仰の人々が日本では多くを占めるようになってしまいました。これらの現状、今更宗教観への思い込みなど、この場で話してみても仕方がありません。そのために、仏教だけではなくあらゆる宗教施設の人々が、慌てて一般の人にも伝わるように精進しているわけです。
仏教とは
仏教とは、お釈迦さまの教えを基本としています。お釈迦さまの教えが伝わりさえすれば、そこに宗教教団という形態が特別必要というわけでもありません。ただ、お釈迦さまの時代にもサンガという集りがあって、出家者や在家者、境涯に応じて集まっていました。
人に伝えていく以上、ある程度の集まりは必要だと思われます。組織が構造疲弊せずに存続する条件下では、集まった方が切磋琢磨にもなるし教えの理解も深まることでしょう。
当初、お釈迦さま存命の時代は、少数のサンガの人々の間で細々と営まれていました。仏教が国境を超えて大きく広がったのは、後継者といっても過言ではない十大弟子のお一人魔訶迦葉尊者の貢献が大きかったと思われます。
そのお陰で、わたしはお釈迦さまの教えを人生の指針とすることができているのです。
日本における仏教の変容
やがて、南アジアで生まれた仏教は中国から日本へと伝わってきます。日本に入ってくると時代を経るにつれ、仏教の中味も変容していきました。国の事情や国民性も異なりますから、形を変えていくことは自然の成り行きだったと考えられます。
以前の記事の中でも触れていますが、まず第一の変更は、祈る対象が塔から仏像へと変化したことが挙げられます。仏像に祈りだしたことは、日本に限った話しでもありませんが、この変化をわたしは勝手に日本における第一次仏教変容期としています。
さらに、鎌倉時代になってから大きな変化がありました。飢饉や天災などの世相を反映した教団が、いくつも誕生したのです。教団には、それを開設した宗祖・教祖が登場し、庶民の信仰を集めていきます。日本における仏教の黎明期ともいえる時代です。これも、わたしは勝手に第二次仏教変容期としています。
当時の宗祖・教祖の教えの台頭は、浄土思想などにみられるような、ある種の現世利益をもって、当時の不安に満ちた社会の中で庶民に束の間の安らぎを与えていました。一方で、利益先行の信仰はお釈迦さまの教えからは遠ざかっていきました。
この時代は、お釈迦さまの教えに教祖という一度フィルターを通した新たな仏教のかたちが、人々の間に広まっていった時代のはじまりとも言えるかもしれません。
もうひとつの視点から
別の角度から見てみます。お釈迦さまの教えには、三法印、空(色即是空)、四聖諦、十二因縁、八正道などが有名です。このように言葉にラベルを付けて管理しはじめると信仰は学問化していきます。また、その言葉の対象者も、出家者、非出家者向けなどごちゃまぜで語られています。
大学を卒業している僧侶もたくさんいる時代です。お釈迦さまの教えも読みさえすればある程度の理解はできると思います。また、一般の人でもネットで検索すれば難解かもしれませんが知ることは可能です。でも、例え理解できてもお釈迦さまの真意とはかけ離れたものです。
一般的な寺院や仏教徒の学校では、お釈迦さまの教えはああだこうだと決めて文書化し伝承しているのが現状です。前段でお話しした、気が付くことのない固定観念のはじまりです。そこで、学んできた僧侶は、文書化された意味の呪縛から抜け出せなってしまいます。
お釈迦さまが伝えたかったこと
例えば十二因縁の法。簡単に言えば、無明から起こる人の迷いとそのこころの流れを説明したものです。それぞれの十二もあるひとつひとつの言葉を解釈しようとしても、永遠に感得することはできません。
十二因縁の法とは理論や心理学の類ではありません。僧侶が、実際現場で人生に迷いのある人々と対峙して伝わってくるこころの機微の働きのひとつです。
わたしの寺院の僧侶はこのような人々のこころの機微を神仏より実相で受け取っていきます。対峙した人の無始以来から続くこころの因縁の紐を手繰り寄せていくのです。
僧侶は自らも修行しながら、十二因縁の法を、様々な人々と神仏からの経験とで積み上げていきます。お釈迦さまは、こうした人々のこころを一瞬にして感得し、人を導いていらっしゃったのです。
また、体系化・辞書化するさらなる弊害は、いつでも見直すことができることです。一見して至極効率的で当たり前のようです。いつでも見直せる環境は安心感を得ることはできるでしょう。ただ読むことと、声聞行の肝である緊張感を持って教えに傾聴することには、大きな隔たりがあります。
こうして、お釈迦さまの本来の教えからは遠くなってしまい、本来伝えたかった事とは違ったものが次の世代へと受け継いで独り歩きしはじめてしまいました。やがて、本だけが積みあがっていって「ああ、そんな考え方もあったなあ」という事態となってしまっては取り返しがつきません。
前段のような宗祖・開祖というフィルターを通した教えとこのシステム化されていく言葉の意味の数々。これが固定観念として、お釈迦さまの教えを伝える役目を持った多くの仏教出家者に行き渡っています。このことが、現代仏教の抱えている問題であり、病巣の根幹をなしています。
まとめ
文書や書物は、人に物事を伝える便利な方法です。最近では、ネットを使ってより効率的な伝達方法が確立してきました。
人は形式化して残そうとします。偉大な教えならば、なおさら整理しわかりやすく残したいと思います。教えは、文学や数学とは違います。そこが落とし穴となっていることに気が付くことは決してありません。
他方で、宗祖・開祖の教えを長く継承してきた組織が自らを守らんがために、お釈迦さまの教えとは関係のないものに固執しはじめると、変容した仏教が次の世代へとバトンタッチされていきます。
お釈迦さまの時代におけるサンガには文書がありませんでした。といって、当時に戻れと言っているわけではありません。生き方を外へとばかり求め続けてしまった。五濁悪世の世界、これが必然なのです。
宇宙の法則は新陳代謝です。澱むことなく変化していかなければなりません。欲望にまみれて暴走している人々に、固執した鎌倉仏教のままでは誰も振り向いてはくれないでしょう。
また、根本をそのままにして、映えや音楽などの遊興を頼りに人々の気を引き、仏教へ導こうという苦肉の策も、刹那的で長い目で見れば自分たちの首を絞めるようなものです。
無宗教・無信仰化に走る一般の人々のこころが、内省から遠ざかっていることは、わたしも実感しています。日本における仏教が衰退していくのは避けられないことでしょう。これもまた必然というしかありません。
ただ、若くて思慮深い出家者たちには、お釈迦さまが何を後世に伝えたかったのか、原点に帰って常に足元を見ていてほしいと思っています。お釈迦さまの意志を受け継ぐ本来の仏教を繋いでいってほしいと、こころから願っています。