もう11月ですが温かい日々が続いています。紅葉はまだなようですが、天気もいいことだし3連休どこの行楽地も人でいっぱいでしょうね。わたしはといえば、出かけて人込みをかき分けても仕方がないので、人が少なく閑散としている近所を散歩してます。
先日、散歩をしていたところ、ほぼまっすぐだった道の突き当りに古家がありました。行き止まりかと思った道は、古家から直角に右に折れていて、わたしは風水上もあまりよくない立地だろうなあと思いつつ眺めていました。
その古家から醸し出されてくる雰囲気も、どことなくどんよりとしていて、これまで主人や家人に振りかかってきた苦難を想像しつつ通り過ぎていきました。
すると、どこかの霊媒師さんにアドバイスでも受けたのでしょう、古家の奥には幸を呼び込み不幸事を払おうと、何らかの神を祀った祠が見えてきました。田舎ではよく見られる家の在りさまです。
そんな因縁の深い家や土地は早く引き払って、引っ越せば良いと思われる方も多いことでしょう。
しかし、引っ越した先でも同じような状況が続くのです。それは、家や土地を選んでいるのは主人の実(まこと)の意志ではなくて、罪障に取り巻かれたもうひとつの意志が決めているためです。
その主人や家族は持って生まれた因縁によって、また、その因縁に絡まれた思い癖によって引きずられ、風水上良くない場所や家に住むことがこの世では既に決まっているのです。
実は、神主をはじめ霊媒師などへの地鎮・家祓いは一時的で、その儀式ですべてが変わるものではありません。主人は、自ら自分の因縁を知って、自分の内から変えていく行動を起こさなければ、本当の地鎮、家祓いは終わりません。わたしは、その事例を数多く見てきました。
この世の幸不幸は、この世から始まっているわけではない
少々のお宮詣りや寺社詣で、解消できるレベルではありません。様々なものを覆い隠し見えなくしてしまっている現代では、因縁をひも解く手がかりは見つかりにくく、これも運命と嘆きながら終わりを迎えることとなるでしょう。
かわいそうなお話しですが、何事もカギとなるのは各人のこころのあり方です。まずこれに気が付くことが肝要です。
自らのこころが凝り固まっていては、未来も限定されてしまうのです。