注意)以下の記事には、センシティブな内容が含まれています。
特に気の弱い方や神経質な方、霊感の強い方は、
できるだけ読まないようお願いいたします。
はじめに
障りの問題は、目に見えない世界では大きなテーマのひとつです。
障りとは、霊障(れいしょう)とも言いますが、障りという言葉を日常生活で使うことはありません。多くの寺社においてでさえ、使われることは少ないでしょう。
【障】を使う熟語には、障害、障壁、罪障、故障など数多くありますが、そのほとんどは何らかの邪魔や妨げに関係した意味を持っています。
では、いったい目に見えない世界における障りとはいったい何なのか。そこから始めたいと思います。
障りとは
寺院開山当初、少し大げさにも聞こえますが、この障りのために苦悩する人々が大挙して押し寄せていました。
寺院はその昔、中世の戦でたくさんの人々が、強い心残りを持って亡くなっていった場所にあります。障りは、公けになっていないだけで、古くから人々の生活や健康に世代を超えて大きな影響を及ぼし続けています。
寺院では、今でも原因不明の病気や不幸で悩んでいる方々から連絡を頂いています。もちろん、度重なる不幸や原因不明の病気でも障りではない場合もありますが、大半はあちこちの病院に行ったり、占いや霊媒師に見て頂いたり、散々悩んだ末に連絡されてくるので障りの場合がほとんどです。
障りにも、障りを被る人の因縁の大きさによって強弱があります。因縁がそれほど深くなく、障りが気づかないほどのレベルならば、気のせいで済まされる場合もありますし、読経だけで解消する場合も稀にあります。
一方で、障りの現象は様々で一定しておらず、不明な現象をすべて障りのせいにしてしまうのも乱暴な話しです。
障りとは、確実に存在するものの、整理されたカルテがあるわけではありません。ですが、一般常識では眉唾だという認識なので、放っておくとこじらせてしまう心配があります。そこが難しいところです。
今も昔も、その曖昧なところを利用して、詐欺を働く輩もいます。
障りの種類
障りの範囲は広く、人霊ばかりでなく動物霊、神霊なども障ることがあります。
その中でも神霊ー神障りといえば、寺院の僧侶一同顔色が変わるほど怖い事案となります。神障りについては、ただここに書いていても、どこからか飛んできて様子を見に来たりします。
また、わたしも神障りの事案で命を落としそうになった経験もありますので、このブログでは言及いたしません。
もちろん、中には人霊でも凄まじいものがいます。これは、また後日、障りの一事案として書こうと思っています(たぶん)。
障りの原点
障りは、2つの「ち」の因縁によります。血の因縁と地の因縁です。これを解消しようと見えない力が働くのです。
血の因縁とは、簡単に説明すれば、先祖が何かやらかして恨みを買ってしまい、その恨みが子孫にまで及んでいる場合に起きたりします。これを人の体に流れている血に潜んでいるという意味で血の因縁としています。
また、地の因縁とは、寺院の建っているところのように、中世の戦場など波乱に飛んだ場所に住んでいる場合に起こります。これを土地にまつわるということで地の因縁としているのです。
また、この2つの血と地も、はっきりと区別されるものでもなく、血の因縁に引きずられて、因縁のある土地に住んでしまうケースも多くあります。血にしろ地にしろ、因縁という言葉の通り、人々が生きている限り、何かしらどこかで繋がっているのです。
おわりに
障る対象は、深酒や賭博など人のこころの弱さや、主人、家長ばかりではなく、家族の一番弱いところに偲び寄ってきます。
障りの問題は、これまで末寺を含めて事案は星の数ほどあり日常茶飯事といっても過言ではありません。
飛行機が当たり前のように飛んでパソコンが普及し情報があふれる現代にあっても、障りは目に見えないところで脈々と続いているものなのです。
わたしたち僧侶にとっては、この目に見えない世界の問題は当たり前で身近な問題なのです。