はじめに
今回の記事は住職から頂きました法話からです。
今回の記事、読んで納得するだけでは絵に描いた餅ですが、実践すれば功徳になります。
楽に生きれば生きるほど、それが功徳になるとしたらこんな良いことはないと思いませんか?
人の世とは
人の世は、人と人との関係に思い悩むことばかりです。昔より、この世の功罪は人との関係が元となっています。
人との関係は幸せを運びもしますが、複雑化の一途をたどる現代社会の人間関係においては、コミュニケーションさえ難しく感じる場面も多くなりました。
今でも、人間関係から明日会社に行きたくないだとか、あの人に会いたくないなど悩む方がたくさんいらっしゃることと思います。
また、何気ないたった一言から、
さっき、言ったことに怒ってないだろうか?
言い過ぎたかもしれない
善人ほど、人の思いが人一倍気になるものです。
そんな人々にとって今回の記事が次につながれば幸いです。
人に左右されない生き方(住職の法話より)
自分に恥じない生き方をしているならば、
人は変えられないし、人がどう思うと勝手。
人というのは、自分には手出しもできない。
すなわち関係のない事象と同じこと。
しかし、独りよがりでもいけません。
もし間違っていたと思ったら、素直にごめんなさいと方向転換。
さらりと生きる。
こころの葛藤は修羅の世界。
つまらないことに迷わされない。
こころの目を養うこと。
仏・菩薩・縁覚・声聞といった四聖の世界に生きることを目指す。
先のことはわからないし、くよくよ考えないこと。
強いこころを養うことが肝心です。
おわりに
上記は、当たり前のことのようですが、なぜか苦手な人の前に出ると蛇に睨まれたカエルのように思考までも止まってしまう人もいます。
しかし、ジメジメと考えを巡らせても、答えは頭の中にはありません。下手に思い悩んで病気になってもばからしいですしね。
人は誰しも、修行するためにこの世に生きています。苦手な人を前にした時ほど目に見えない世界からの視点でものを考えましょう。
その場、その時に集中しないで、もっと広い視野から物事を捉え、嫌な人の前で思い換える訓練をするのです。
思い変えが出来る強いこころを育むことは、楽な人生を歩むための第一歩