2024年を振り返って

はじめに

今年も12月後半となりました。年取るごとに、時間は早く過ぎていきますね。今回は、当ブログの内容を中心に、今年2024年を振り返ってみたいと思います。

今年印象的だったのは、元旦より始まった災害の数々です。年々、自然の変化は、激しさを増していっています。頻繁に発生する地震や、時節変わらず降り注ぐ容赦ない豪雨に、脅威が身近に迫って来たと実感した方も多いことだと思います。四季の移り変わりを味わいながら、年末を穏やかに迎えるような風情を取り戻すことは、もはやできないでしょう。

一方、社会に目を向けてみると、政治家や資本家の「不徳の至る所」が噴出した年でした。何をこれまで学んできていたのか、己の名誉や欲望などのために、特権や法の抜け道を駆使しながら保身に走る様子は、滑稽にすら映りました。

ところで、わたし自身にとって、2024年は心情的に波乱の一年でした。以下より、簡単にまとめてみたいと思います。

今年からの意識の変化

昨年、決定的な過去生を思い出しました。

上記の記事内では触れていませんが、その思い出した経緯を書いておきたいと思います。

思い出したのは、家族の夕飯を作っている時でした。

メキシコ産のかぼちゃがとても硬くて、誤って人差し指をひどく切ってしまったのです。未だにその傷跡が残っています。その時、十数年ぶりにカッとなってしまったのです。

カッとなった理由は、自分の不手際のせいなのか、なかなか止まらない血を見たためなのか、理由ははっきりしません。すると、次第に頭の中にモヤが立ち込めてきて、以下の様子が頭に浮かんできました。

わたしは、お釈迦さまの食事を用意しています。

とにかくお釈迦さまを待たせてはいけないと、雨安居1らしい貧しい作りの部屋のような中でせわしく動いていました。わたしはお釈迦さまの食事の準備をしている最中も、何らかの理由でカッカッしていたようです。

やがて、支度終え、お釈迦さまがいらっしゃいました。
用意された食事を一瞥したお釈迦さまは、わたしにおっしゃいました。
「お前がどんな気持ちでこの食事を用意していたかわかるぞ。お前は、すぐにカッとなる」
と、さっきまでの怒りを見抜かれ、やんわりと諭されていました。

このわたしの怒りの思い癖についは、出家前に取り除かれました。きっと、怒りの思い癖を抱えたままでは、せっかく仏塔の下で再開できた出家生活を、再び台無しにしてしまうからと、目に見えない世界の何者(恐らく、わたしの前世の師匠)かから、思われていたためでしょう。

この昨年の回想をきっかけに、呼ばれるようにして、これまで興味すらなかったインドへと、今年赴きました。

以来、仏教における修行の在り方とか、宗派・宗門に対する考え方はもちろんのこと、人生における価値観まで次第に変わっていきました。出家して10年余り、目に見えない世界を数々体験してきて、これ以上ものの見方など変わることはないだろうと思っていた矢先のことでした。

当初、これまでの経験を整理して、あわよくば、寺院の布教に役立てようと始めたブログも、すっかり趣旨が変容していきました。その変化は、このブログの記事の内容にも現れていることと思います。

まとめ

最後に、今後の方針を残しておきたいと思います。

このブログの記事も今回で107を数えます。俗に、人の煩悩は108あるといいます。そこに掛けるわけではありませんが、このブログも108回目の記事を持って、一旦終了としたいと思っています。

最後の108回目の記事として予定している表題は、「無我」です。無我とは、お釈迦さまの教えの中では、最も大切でありながら、なかなか分かりづらい言葉となっています。

そもそも「無我」とは何なのか、人が「無我」を目指す理由と、そこに至ればどんな風景が待っているのかを、経験に基づいて出来るだけ分かり易く書いてみようと思っています。

来年2025年、新しい記事を書くことは、昨年から今年に比べれば、さらに少なくなるでしょう。一方で、過去の記事を読んでみると、言葉足らずや細部がぼやけている部分など散見されますので、加筆修正も順次していこうと思っています。

  1. 仏教の教団において、僧侶が一定期間外出を避け、一か所に集団生活をして修行に専念すること、またはその期間 ↩︎

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