はじめに
今日は少し柄にもない政治のお話しから。
政治は修羅の世界です。修羅とは悪道となります。修羅界には、阿修羅王という美形の神様もいらっしゃるようですが、人が進んで入るような世界とは違います。
出家者というものは、修行に生きるものとして、修羅の住むような世界に口を挟むことはご法度です。
しかし昨今、日本の政治の腐敗はひどくて、まるで中世の未発達な政治制度を目の当たりにしているかようです。
悪世においては、庶民の心情の劣化も歯止めがかかりませんが、日本の政治家はそれに増して人としての尊厳までどこかに忘れてしまっているかのように思えてしまいます。
誰が見ても既得権益を守っているとしか思えない政治家たちの行動に、呆れ果ててものも言えません。これでは、この国の未来も危ぶまれますね。
わたしのような死にゆくだけの年寄りはさておき、未来ある若者が本当にかわいそうです。
時代の変化
戦後、華々しい復興遂げて、政治の世界では地方を含めて、女性や若者の意見をまともに取り合うともしてきませんでした。まだまだ復興での成功体験から抜け出せないのかもしれません。
時代も変わって、ある程度の設計図が用意されている時代から予測困難な不安な時代へとなりました。現在、要職にあるほとんどの方々は、固執したものの考え方でも、ある程度の成功は約束されていた時代の寵児です。
現在の状況は、その固執した考えを持った男性の年長者だけで決めていってしまった予定調和な未来の姿です。最近話題にもなった地方での絶滅危惧都市でも見られる傾向ですね。
見えない未来
現代日本の政治の問題点の根本は、常に権力者、特に高年齢の経済的男性の成功者の方を向いて行う政治にあります。
円高や物価高、温暖化や人口減少など様々な問題が巷では溢れています。
未来の政策を決めるためには、現在進行中の問題点から見えてくる不都合な未来を、まず提示しなくてはなりません。
政治家やその取り巻きたちの多くは、自分を含めて、たとえ老い先短くとも無事に死にたいと願う、自分のことしか考えていない者たちの集まりです。
この先もその集団を事無く維持していくためにも、不都合な未来を机上に広げるわけがありません。
しかし、何事も「転ばぬ先の杖」不都合な未来あってのこれからの準備が大事なのですが、見えない未来をいいことに小手先のおためごかし、臭いものには蓋をしてしまいます。
現在の政治家の姿は、見えない未来を余計見えなくしてしまっているのです。
意識改革
政治家の意識は、そのまま個人の意識としても置き換えることができます。
現状、いくら鈍感だからと言って、多くの政治家が既得権益を図ってばかりでもいられないくらい分かっているはずです。
しかし、そこに自らを肯定しようとするバイアスを意識的に、あるいは無意識にかけてしまう。
現状に甘んじる姿勢は誰もが持っています。しかし、何かを変えるためには、今一歩を踏み出すガッツが肝要です。
わたしの周りを見渡しても、現状から来るべき不都合な未来を話題にすると決まって良い顔はしません。
誰もが、明るい未来が見えた方が生きる気力も湧くというものです。それは十分承知しています。人々に希望を与えるのも是です。
しかし、昨今の問題は、政治だけではなく個人の問題としても差し迫ったものばかりです。目の前にある奈落に落ちる谷底を、お花畑には換えられないのです。
政治のようなたくさんの人々を巻き込んだ大きい話しではなく、そこには自分だけがわかる、ささやかな意識改革が求められています。
まとめ
今の生活を続けていても、不都合な未来が待つだけの差し迫った人々がたくさんいらっしゃるように思えます。
そんな方々ほど、自分の行動や思いにバイアスを掛けて、問題視することもなく先送りをしてしまう癖が付いています。
このブログのテーマである目に見えない世界からの視点に立ってみれば、死後、転生に続いていく未来に備えてこそ生き甲斐というものです。
死後から続く転生先までの未来に備えてこそ生き甲斐
変化のない穏便な生活を信条とする人々にとっては、あの世に続く来世など邪魔な概念でしょう。非科学的だと片付けてしまうのは簡単なことです。
ずっと先の未来の課題を、自分のこととして考えることが出来てこそ、政治家の本来の役割なんだろうし、翻って個人においても、そのことで希望ある明るい人生が開けていくというものです。
他人の幸せを自分の幸せとして想像できる力は、取りも直さず自分の幸せを実現させる原動力に他なりません。